通勤電車の吊り革に捕まりながら、ふとスマホの黒い画面に映る自分の疲れた顔を見て思いました。
「あ、これハサウェイの顔だ」って。
冗談です。
でも、今の日本、そんな「閉塞感」を抱えて生きている人は私だけじゃないはずです。
2026年1月30日。
ついに公開された『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』。
前作から5年。
長かった。本当に長かった。
当時小学4年生だった息子は、もう中学生手前。
「ねえママ、ガンダムって結局誰が一番強いの?」
なんて無邪気に聞いてきた子が、今や反抗期で口も聞いてくれません。
そんな5年の歳月を経て公開された本作ですが、公開5日間で興行収入10億円突破という、とんでもないロケットスタートを切りました。
前作比162%。
でも、SNSやレビューサイトを見てみると、絶賛の嵐の中に、戸惑いや悲鳴が混じっています。
- 「画面が暗すぎて、何が起きているのか全然見えない!」
とストレスを感じていませんか? - 「アリュゼウス? 原作と全然違うじゃん!」
と、ストーリーの改変に脳の処理が追いつかず混乱していませんか? - 「結局、ハサウェイは救われるの? 第3部までまた5年待つの?」
という、終わりのない絶望感に襲われていませんか?
もしあなたが一つでも当てはまるなら、ここはあなたのための場所です。
最近のガンダム、特に宇宙世紀シリーズは「予習前提」「考察必須」な作りになっていて、映画を一本観ただけでは消化不良を起こしがちです。
「雰囲気は凄かったけど、意味は分からなかった」
で終わらせるには、チケット代(特にIMAX料金!)が高すぎますよね。
私は、長崎の田舎でガンダムの再放送を見て育ち、上京してからは一人暮らしの寂しさをガンプラで埋め、結婚してからは夫と息子を巻き込んで英才教育を施してきた、ただの「ガンダム好きの主婦」です。
でも、好きが高じて公式設定資料集を読み漁り、原作小説(ベルトーチカ・チルドレン含む)をボロボロになるまで読み込み、前作『閃光のハサウェイ』第1部に至ってはNetflixでセリフを覚えるほどリピートしました。
主婦業と会社勤めの合間を縫って、ガンダムという巨大なサーガを追いかけ続けて30年以上。
その私が断言します。
今回の映画は、「事件」です。
この記事では、賛否両論の「暗すぎる画面」に隠された演出意図から、原作既読者ほど腰を抜かす「アリュゼウス」の正体、そして1988年の『逆襲のシャア』から繋がる因縁の系譜まで、本作の全てを徹底的に解説します。
この記事を読むことで、あなたはもう「分からなくてモヤモヤする」状態から解放されます。
なぜあの演出だったのか、なぜあの曲だったのか。
全ての点が線に繋がった時、あなたはハサウェイの絶望を「我が事」として理解し、第3部を待つための覚悟が決まるはずです。
さあ、心の準備はいいですか?
ここから先は、引き返せない「ネタバレ」の領域です。
ポップコーンの手を止めて、深呼吸してから読み進めてください。
この記事を読み終えた時、あなたの『キルケーの魔女』体験は、単なる「映画鑑賞」から、一生忘れられない「人生の記憶」へと変わることをお約束します。
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第1章:5年の沈黙と10億円の熱狂私たちを突き動かす「飢餓感」

満員電車とコックピットの共通点
毎日往復2時間の通勤。
東京の満員電車は、ある意味でモビルスーツのコックピットに似ています。
狭くて、息苦しくて、自分の意志とは関係なく運ばれていく。
『閃光のハサウェイ』第1部が公開された2021年、世界はコロナ禍の真っ只中でした。
あの時の「どこにも行けない」閉塞感と、ハサウェイ・ノアが抱える「やり場のない正義感」は、妙にリンクしていましたよね。
それから5年。
「制作が難航している」
「海外ロケができない」
という噂を聞くたびに、私たちはNetflixで第1部を見返し、「マフティーダンス」なんてネットミームで遊びながら、ひたすら待ち続けました。
心理学的に言うと、人は「手に入りそうで入らないもの」ほど価値を感じる生き物です。
これを「希少性の原理」なんて言いますが、5年というブランクは、ファンの熱を冷ますどころか、極限まで「飢餓感」を煽る結果になりました。
SEED FREEDOMという「陽」の起爆剤
そして忘れてはならないのが、2024年の『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の大ヒットです。
あれは楽しかった。
本当に楽しかった。
愛と勇気とロマン全部乗せの「極上お子様ランチ」みたいな映画でした(褒めてます)。
あの作品でガンダムに戻ってきた層、あるいは新しく入ってきた層が、
「次は宇宙世紀ってやつを見てみるか」
と流れてきた。
でも、彼らが目にしたのは、愛も希望も簡単には見つからない、苦くて重い「激辛エスプレッソ」のような本作です。
『SEED』が「陽(エンタメ)」なら、『ハサウェイ』は「陰(文学)」。
甘いものを食べたらしょっぱいものが食べたくなるように、今の市場は無意識にこの「重さ」を求めていたのかもしれません。
公開5日間で10億円という数字は、単なる人気シリーズだからというだけでなく、現代人が「分かりやすい快楽」の裏側にある「手応えのある苦悩」を欲した結果ではないでしょうか。
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第2章:視覚情報の遮断「見えない」が生む究極の没入感

「映画館のスクリーンが故障してる?」問題
映画が始まって数分。
多くの人が思ったはずです。
「暗っ!!」と。
私も一瞬、映画館のプロジェクターの光量設定ミスを疑いました。
特に夜間の戦闘シーン。
モビルスーツの輪郭なんて見えません。
見えるのは、スラスターの噴射光、ビームの閃光、そして爆発の炎だけ。
コックピットの中も真っ暗。
計器類のLEDだけが、パイロットの焦った顔を青白く照らす。
最近のYouTube動画なんて、テロップで全部説明してくれるじゃないですか。
そんな「親切設計」に慣れた目には、この映画はあまりにも不親切です。
でも、村瀬修功監督は、意地悪でやっているわけじゃありません(たぶん)。
想像力という名の補完機能
考えてみてください。
夜の森の中で、灯りなしで歩く時のことを。
視界が奪われると、人はどうするか。
目を凝らし、耳を澄ませ、肌の感覚を研ぎ澄ませますよね。
「見えない」からこそ、私たちは必死に「見よう」とする。
スクリーン上の微かな光の動きから、巨大な質量の移動を感じ取ろうとする。
その瞬間、私たちは安全な映画館の座席から引き剥がされ、戦場の只中へ放り込まれます。
受動的に「映像を見る」のではなく、能動的に「状況を目撃する」。
この体験こそが、本作の最大の価値です。
だからこそ、IMAXやドルビーシネマといった「黒がちゃんと黒く見える」環境への課金は、贅沢ではなく「必要経費」です。
1000円追加するだけで、ただの黒い塗りつぶしが、奥行きのある「恐怖の闇」に変わるんですから。
主婦のランチ1回分を我慢する価値は十分にあります。
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第3章:聴覚への暴力「1988年」の亡霊

澤野弘之が描く「災害」の音
映像が見えない分、音の情報量は暴力的なまでに圧倒的です。
澤野弘之さんの劇伴(BGM)は、メロディアスな曲で感情を誘導するというよりは、環境音に近い「圧」で攻めてきます。
特にミノフスキー・フライト(MSが空を飛ぶための音)の駆動音。
「ブォォォン……」
という重低音が、お腹の底に響くんです。
うちの息子が遊ぶゲームのガンダムって
「キュイーン!ズドーン!」
って爽快な音がするんですけど、この映画の音はもっと工業的で、不快ですらある。
巨大な鉄の塊が空を飛ぶことの「無理矢理感」というか、
「これは人間の手に負えるものじゃない」
という恐怖が、音だけで表現されています。
ガンズ・アンド・ローゼズというタイムマシン
そして、エンドロール。
Guns N' Rosesの『Sweet Child o' Mine』が流れた瞬間、劇場の空気が変わりました。
私の隣に座っていた同年代と思しきサラリーマンの方、小さく「マジか」って呟いてましたよ。
私も心の中で叫びました。
なぜ、ここでガンズなのか。
この曲がリリースされた1988年は、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が公開された年です。
つまり、ハサウェイ・ノアという少年が、初恋の少女クェス・パラヤを失い、人生を決定づけられた「あの年」なんです。
制作陣は、楽曲そのものをタイムマシンのように使って、私たちを1988年のあの夏へ引き戻そうとしています。
歌詞もズルい。
"She's got eyes of the bluest skies... I'd hate to look into those eyes and see an ounce of pain"
(彼女の瞳は青い空のよう……その瞳に少しの痛みも見たくない)
これ、完全にハサウェイから見たクェス、あるいは今作のヒロイン・ギギへの想いそのものじゃないですか。
泥沼の戦闘と政治劇を見せられた最後に、この美しくも切ないロックナンバーが流れる。
「ああ、なんて悲しくて、美しい物語なんだろう」
と、脳が錯覚を起こす(笑)。
これを「ピーク・エンドの法則」と言うそうですが、私たちはまんまと制作陣の手のひらで踊らされているわけです。
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第4章:キャラクター解剖こじらせた男たちと魔女

物語を動かすのは、いつだって「面倒くさい人間たち」です。
ハサウェイ・ノア:理想と本能の狭間で
主人公ハサウェイ。
もう見ていて辛い。
表向きはテロ組織「マフティー」のカリスマリーダーとして振る舞っていますが、中身はただの繊細な青年です。
高級ホテルで食事をした後に、市街地を爆撃する指令を出す。
その矛盾に、彼自身が一番傷ついています。
「やっちゃいなよ、そんな偽物なんか!」
と言ってくれるクェスの亡霊と、「人として正しくあれ」というブライトの教えの間で、引き裂かれそうになっている。
小野賢章さんの演技が凄まじいです。
叫び声よりも、ふとした瞬間の「息遣い」に、彼の限界ギリギリの精神状態が滲み出ています。
ギギ・アンダルシア:歩く認知的不協和
ヒロインのギギ。
彼女は「可愛い」とか「綺麗」とか、そんな生易しい言葉では表現できません。
彼女は「劇薬」です。
嘘を見抜く鋭い直感と、男たちの理性を崩壊させる無自覚な色気。
ハサウェイが必死に維持している「マフティー」という仮面を、彼女は遊び半分で剥がしにかかります。
タイトルにある「キルケー」とは、ギリシャ神話で男たちを魔法で「獣(豚)」に変えた魔女のこと。
まさに彼女のことですよね。
ハサウェイも、敵司令官のケネスも、彼女の前では「軍人」や「テロリスト」の顔を保てず、ただの「男(獣)」としての弱さを露呈してしまう。
同性として見ると
「こういう子がクラスにいたら絶対ハブられるわ」
と思うタイプですが、物語の装置としては最強です。
ケネス・スレッグ:大人のズルさと色気
連邦軍のケネス大佐。
諏訪部順一ボイスの時点で反則ですが、今作でもいい仕事をしています。
彼はハサウェイの正体にほぼ気づいている。
でも、確証を掴むまでは泳がせるし、友人としての顔も崩さない。
仕事はできるし、部下の面倒見もいい。
でも、体制側の汚い部分も清濁併せ呑むリアリスト。
ハサウェイの「青臭い正義」と対比される、ケネスの「成熟したズルさ」。
若い頃ならハサウェイに感情移入したでしょうが、社会の荒波に揉まれた今の私には、ケネスの背中の方が魅力的に見えたりもします。
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第5章:【完全解説】アリュゼウスの衝撃と原作改変の真意

ここからは、本作最大の論点、そしてネタバレの核心に触れます。
原作小説を読んでいる人ほど、腰を抜かしたはずです。
なぜペーネロペーじゃないの?
原作小説の中巻において、クライマックスの相手はレーン・エイムが乗る「ペーネロペー」でした。
しかし映画版では、ペーネロペーは整備中で出撃しません。
代わりにレーンが乗るのが、完全新規デザインの機体「TX-ff104 アリュゼウス」です。
スクリーンにその姿が現れた時、私の脳内で警報が鳴りました。
「え……これ、ν(ニュー)ガンダムじゃない?」
背中に巨大なフライトユニットを背負っていますが、そのシルエット、そして後に露出する顔は、紛れもなく『逆襲のシャア』でアムロ・レイが乗っていたνガンダム(の量産検討機)の系譜です。
「量産型νガンダム」が意味するもの
単なるファンサービス?
いいえ、違います。
これはハサウェイに対する、残酷すぎる精神攻撃です。
ハサウェイにとって、νガンダムとは何か。
父ブライトが艦長を務めたラー・カイラムの旗機であり、尊敬するアムロさんの機体。
そして何より、初恋の人クェス・パラヤが死んだ戦場にいた機体です。
その「顔」をしたモビルスーツが、敵として殺意を向けてくる。
ハサウェイが錯乱するのも無理はありません。
「なんで、それがここにいるんだ!」
彼の叫びは、敵への恐怖ではなく、過去のトラウマそのものへの拒絶です。
もし相手がペーネロペーなら、ただの「強力なライバル機との戦い」でした。
しかしアリュゼウスにしたことで、この戦闘は「ハサウェイ自身の過去との戦い」へと意味が変わったのです。
Ξ(クスィー)ガンダムの「素顔」
対するハサウェイの愛機、Ξガンダム。
第1部では
「怪物のような異形のガンダム」
として描かれていました。
しかし今回、アリュゼウスとの激闘で頭部装甲が砕け、中から
「伝統的なガンダムのデュアルアイ(二つの目)」
が露出する演出がありました。
これもまた皮肉です。
「マフティー」という怪物の仮面を被ってテロをしていたハサウェイが、皮を剥がされたら、結局は「ガンダムのパイロット(連邦の英雄の息子)」だった。
逃げようとしていた「血筋」や「運命」が、物理的に顔を出した瞬間です。
互いに「ガンダム」の顔を晒し合いながら殺し合う。
この映像的説得力は、小説という媒体では表現しきれなかった、アニメーション映画ならではの改変の勝利だと言えるでしょう。
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第6章:歴史のズレ「ベルトーチカ」ではない世界線で

ここが一番ややこしくて、でも一番大事なポイントです。
ここを理解すると、ハサウェイの苦しみが100倍深く理解できます。
原作小説と映画版の決定的な違い
実は、『閃光のハサウェイ』には二つの世界線があります。
- 原作小説ルート
小説『逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』の続編。 - 映画版ルート
劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の続編。
最大の違いは、「クェス・パラヤの死因」です。
- 小説版
ハサウェイが誤射して、自分の手でクェスを殺してしまった。 - 映画版
連邦軍人のチェーン・アギがクェスを殺し、ハサウェイは逆上してチェーンを殺した。
憎悪の矛先が変わる
小説版のハサウェイの根底にあるのは、「クェスを殺してしまった自分への罰」や「贖罪」でした。
だからどこか死に急いでいるような、静かな狂気がありました。
しかし、今回の映画版は違います。
映画版のハサウェイにとって、クェスは「連邦の理屈によって奪われた被害者」です。
そして、自分は「ガンダムという力に魅入られ、味方(チェーン)を殺してしまった罪人」です。
映画版ハサウェイの原動力には、自分への罪悪感以上に、
「連邦政府、およびガンダムという暴力装置そのものへの激しい憎悪」
が含まれています。
だからこそ、アリュゼウス(νガンダムの幻影)を見た時の拒絶反応が凄まじいのです。
「ガンダムに乗れば、人は人でなくなる」
「力を持てば、大切なものを踏みにじる」
第2部終盤で見せた、あのアムロの幻聴。
「やってみせろよ、マフティー!」。
あれは応援ではありません。
ハサウェイを修羅の道へ引きずり込む、呪いの言葉です。
そう解釈すると、あのシーンの恐ろしさが骨身に沁みませんか?
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第7章:第3部「サン・オブ・ブライト(仮)」への展望救いはあるのか

物語は、いよいよ完結編へ向かいます。
第2部のラスト、ハサウェイたちは決戦の地、オーストラリアのアデレードへ到着しました。
ブライト・ノアの登場が意味するもの
今回、原作にはないブライト・ノア(父)とミライ(母)の登場シーンがありました。
これは非常に大きな意味を持ちます。
原作の結末は……
ご存知の方も多いでしょうが、あまりにも救いがありません。
ハサウェイは捕まり、処刑され、何も知らないブライトがその処刑の責任者としてサインをさせられる。
「親殺し」ならぬ「子殺し(無自覚)」の物語です。
しかし、映画版でこれほど丁寧にブライトを描写し、ハサウェイが父の影に苦しむ様を描いた以上、原作通りの結末にするでしょうか?
それではあまりに後味が悪すぎます。
商業的にも、ガンダム45周年の節目にそこまでの鬱展開を持ってくるかは疑問です。
「サン・オブ・ブライト」の行方
第3部の仮題として一時噂された「サン・オブ・ブライト(ブライトの息子)」。
もしこのテーマが踏襲されるなら、何らかの形での「父子の対面」、あるいは魂の救済が描かれる可能性があります。
ハサウェイは生き残るのか?
それとも、死ぬとしても、父と和解して逝けるのか?
個人的には、親としての視点で見ると、ブライトさんには真実を知ってほしくないような、でもちゃんと向き合ってほしいような……
複雑な心境です。
ただ一つ言えるのは、第2部で撒かれた種(アリュゼウス、ガンダムフェイスの露出、ギギとの契約)が、第3部ですべて回収される時、ガンダム宇宙世紀の歴史が書き換わるかもしれないということです。
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結論:これは「消費」ではない。「儀式」である
長々と語ってしまいましたが、結局のところ『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』とは何だったのか。
それは、タイパ(タイムパフォーマンス)だのコスパだのが叫ばれる現代において、あえて「分かりにくさ」と「不快さ」を提供することで、私たちに
「思考すること」
を強いる作品でした。
10億円という興行収入は、観客が「安易な癒し」ではなく、「痛みを伴う体験」に対価を支払った証明です。
ハサウェイのように世界を変える力なんて、私たちにはありません。
明日はまた満員電車に揺られ、上司に頭を下げ、家事に追われる日常が待っています。
でも、映画館の暗闇の中で、ハサウェイと一緒に絶望し、ギギに翻弄され、アムロの亡霊に怯えた2時間は、間違いなく私たちの心を揺さぶりました。
「現実ってクソだけど、まあ、もう少し頑張って生きてみるか」。
劇場を出て、眩しい外の光を浴びた時、不思議とそんな前向きな(?)諦念のような気持ちになれたんです。
絶望の先に見える微かな光。
それがタイトルの「閃光」なのかもしれません。
まだ観ていない貴方。
悪いことは言いません。今すぐ予約サイトを開いてください。
そして、ポップコーンを買うのはやめておきましょう。
どうせ食べる余裕なんてなくなりますから。
代わりに、終わった後に飲むための、少し高めの美味しいコーヒーを用意しておくことをお勧めします。
この苦くて深い余韻を味わうために。
それじゃあ、私はそろそろ洗濯物を取り込んできます。
現実に戻らなきゃ。
でも、心の一部はずっと、アデレードの空を飛んでいるような気がします。
スター・ウォーズシリーズを時系列で結末まで完全網羅!ネタバレ全開で考察
