「サラマンダーより、ずっとはやい!!」
この言葉を目にした瞬間、あなたの心拍数は少し上がりませんでしたか?
あるいは、条件反射的に苦笑いを浮かべつつ、胸の奥底に封印していた「理不尽な痛み」が蘇ってきたのではないでしょうか。
2025年12月現在、私たちの周りには美しいグラフィックのゲームが溢れています。
私の小学4年生になる息子も、毎日Switchで友達と楽しそうに遊んでいます。
けれど、どれほど技術が進化しても、決して色褪せない「衝撃」というものが、90年代のRPG史には深く刻まれているのです。
- 「あの時、確かに俺の初恋はドット絵の少女に殺された」と、今でも酒の肴にしてしまう。
- 主人公に自分の名前、ヒロインに好きな人の名前をつけてプレイし、再起不能な精神的ダメージを負った経験がある。
- 「悪女」と聞くと、現実の女性よりも先に、ヨヨやアリシアの顔が脳裏をよぎる。
もし、これらに一つでも心当たりがあるなら、この記事はあなたのためのものです。
かつて、スクウェア(現スクウェア・エニックス)が黄金期を迎えていた時代。
少年少女たちの純粋な心に、不可逆的なトラウマを植え付けたヒロインたちがいました。
しかし、ネット上には断片的な「ネタ」としての情報ばかりが溢れ、彼女たちが「なぜ」あのような行動をとったのか、そして「なぜ」開発者はあんな残酷なシナリオを世に送り出したのか、その深層まで掘り下げた記事は驚くほど少ないのが現状です。
この記事を書いている私は、40代の現役ウェブライターです。
普段は夫と息子、そして義理の両親との同居生活を送りながら、満員電車に揺られて会社に通う日々を送っています。
そんな「酸いも甘いも噛み分けた」今だからこそ、あの頃とは違った視点で彼女たちの罪と罰が見えてくるのです。
当時、長崎の片田舎でコントローラーを握りしめ、呆然とブラウン管を見つめていた一人の少女としての記憶と、膨大な資料や開発者インタビューを徹底的にリサーチしたライターとしての執念を、この記事に全て注ぎ込みました。
この記事では、「スクウェア3大悪女」と呼ばれるヒロインたちの物語を、完全ネタバレで時系列順に徹底解説します。
単なるあらすじ紹介ではありません。
彼女たちの心理、システム的な嫌がらせ、そして当時の時代背景までを網羅し、なぜ彼女たちが伝説となったのかを解き明かします。
この記事を読むことで、あなたは長年抱えてきた「モヤモヤ」の正体を突き止め、あの日のトラウマを「良き思い出」として消化できるようになるはずです。
ネットの浅い情報に振り回されることなく、真実を知ることができます。
さあ、覚悟はいいですか?
この記事を読み終えた時、あなたはきっと、彼女たちのことを「許す」か、あるいは「一生許さない」と改めて誓うか、そのどちらかの結論に辿り着くでしょう。
それでは、25年目の真実への扉を、一緒に開けていきましょう。
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バハムートラグーン全ネタバレ解説!ヨヨの「裏切り」の真実と、30年越しに分かる「おとなになる痛み」【トラウマ克服】
第1章:「スクウェア3大悪女」とは何か?その定義と歴史

1-1. 言葉の定義と範囲
まず、「スクウェア3大悪女」という言葉の定義から整理しましょう。
これは、旧スクウェアのRPG作品に登場する女性キャラクターの中で、特にプレイヤーに強烈な精神的ダメージを与え、生理的な嫌悪感さえ抱かせた3人のヒロインを指すインターネットスラングです。
ここで極めて重要なポイントがあります。
テストに出ると言ってもいいくらいです。
それは、彼女たちが物語上の「悪の組織の女幹部」や「世界を滅ぼす魔女」といった、いわゆる敵役(ヴィラン)ではないということ。
彼女たちは本来、主人公が命を懸けて守るべき「メインヒロイン」であり、可憐な「王女」であり、あるいは将来を誓い合った「恋人」でした。
会社で例えるなら、最も信頼していた部下が、大事なプレゼンの当日に競合他社へ極秘資料を持って転職していったようなものでしょうか。
いや、それ以上にエグいかもしれません。
義理の母が笑顔で私の作った煮物を「味が薄いわね」とシンクに流すくらいの衝撃です。
プレイヤーが感情移入し、全幅の信頼を寄せていた対象が、物語の途中で残酷な裏切りを見せたり、主人公の心情を逆撫でするような身勝手な振る舞いをしたりしたこと。
そのギャップが生んだ衝撃と絶望が、彼女たちを「悪女」という不名誉なカテゴリーへと押し上げたのです。
1-2. 構成メンバー:不動の2トップと揺れる3席
この呼称において、ファンの間で異論が出ない不動の「ツートップ」と、時代や解釈によって意見が分かれる「3人目」が存在します。
- 第1席(絶対的筆頭):ヨヨ(『バハムートラグーン』)
- 第2席(絶対的次席):アリシア(『ライブ・ア・ライブ』)
- 第3席(論争対象):ミレイユ(『魔界塔士Sa・Ga』) または リノア(『ファイナルファンタジーVIII』)
一般的には、ヨヨとアリシアのインパクトがあまりに絶大かつ凶悪であるため、
「この二人がいれば3人目は誰でもいい(誤差の範囲)」
とさえ言われることもあります。
正直なところ、私もヨヨとアリシアのエピソードを振り返るだけで、夕飯の献立を考える気力が失せるほどのカロリーを感じますが、歴史的経緯やファンの世代、あるいは「悪意の質」によって認識が異なるため、本記事ではこれら全ての候補について詳細に検証していきます。
1-3. 誕生の経緯:インターネット黎明期の「共通言語」
この言葉がいつ、誰によって作られたのか、正確な一次ソースは不明です。
しかし、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネット掲示板で自然発生的に定着したというのが通説です。
私がまだ長崎の実家で暮らしていた頃や、上京して一人暮らしを始めた頃のことです。
1996年に『バハムートラグーン』が発売された際、そのあまりに衝撃的な展開は、当時の学校の教室やゲームショップでの立ち話レベルで騒然となりました。
「おい、あのゲームクリアしたか? ヨヨが信じられないことになったぞ」と。
その後、ネットコミュニティが発達するにつれ、1994年の『ライブ・ア・ライブ』や1989年の『Sa・Ga』の記憶と結びつき、
「スクウェアのRPGには、プレイヤーを地獄に落とすヒロインがいる」
という認識が体系化されていきました。
これは、当時の少年たちが共有する「心の古傷」を確認し合い、痛みを分かち合うための、ある種の儀式用語だったのかもしれません。
傷の舐め合いと言えば聞こえは悪いですが、被害者の会のような連帯感があったのは確かです。
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第2章:深淵なる絶望筆頭悪女「ヨヨ」の罪と罰

「スクウェア3大悪女」を語る上で、決して避けて通れない存在。
それが1996年2月9日に発売されたシミュレーションRPG『バハムートラグーン』(スーパーファミコン)のメインヒロイン、カーナ王国王女ヨヨです。
彼女はなぜ、30年近く経った今でも
「RPG史上最悪のヒロイン」
「NTR(寝取られ)の代名詞」
として名を馳せているのでしょうか。
そこには、単なる浮気とは次元の違う、構造的な「悪意」が潜んでいます。
2-1. 物語の前提:約束された未来と甘い記憶
物語の序盤、ヨヨは主人公ビュウ(=プレイヤー)にとって、守るべき完全無欠のヒロインとして描かれます。
亡国カーナの戦竜隊長であるビュウと、王女ヨヨは幼馴染。
二人は互いに好意を寄せ合っており、周囲も公認の仲でした。
いわゆる「幼馴染ルート確定」の状態です。
プロローグで二人は、ビュウの愛竜「サラマンダー」に相乗りし、ある教会を訪れます。
「恋人同士でここを訪れると、将来必ず結ばれる」
という伝説がある場所です。
プレイヤーはここで、ヨヨと将来を誓い合います。
「大人になっても、また連れてきてくれる?」
という彼女の問いかけに、多くのプレイヤーは
「はい」
と答えました。
そして、彼女を奪還するためにグランベロス帝国との過酷な戦争に身を投じるのです。
この「王道のフリ」こそが、後の悲劇を最大化させるための、あまりにも残酷な助走でした。
2-2. 悪夢の始まり:心変わりとNTR
ヨヨが帝国にさらわれてから数年後、ビュウ率いる反乱軍はようやく彼女を救出します。
しかし、戻ってきた彼女の様子はどこかおかしいのです。
彼女は、囚われていた間に敵国の将軍「パルパレオス」と恋に落ちていました。
パルパレオスは確かに敵ですが、紳士的で人格者であり、孤独なヨヨの心の支えとなっていたのです。
ここまでは、まあ百歩譲ってあり得る話です。
「吊り橋効果」や「ストックホルム症候群」のような心理状態だったのかもしれません。
人間だもの、心変わりだってあります。
しかし、ヨヨの真の恐ろしさは、その事実を
「ビュウ(元カレ)に対してあまりにも無神経かつ残酷に見せつける」
点にあります。
彼女には悪気がなく、ただ「自分の感情に正直」なだけなのです。
悪気がないからこそタチが悪い。
満員電車で大きなリュックを背負ったまま、スマホに夢中で周りを圧迫している人くらいタチが悪いです。
2-3. 伝説のトラウマシーン:「サラマンダーより、ずっとはやい!!」
物語中盤、反乱軍に一時休戦で合流したパルパレオスと共に、ヨヨが空を飛ぶシーンがあります。
パルパレオスの愛竜「レンダーバッフェ」に乗った彼女は、かつてビュウと乗ったサラマンダーと比較して、高らかにこう叫びました。
「サラマンダーより、ずっとはやい!!」
この台詞が、ゲーム史に残る「呪いの言葉」として定着したのには明確な理由があります。
単なる速度の話ではないのです。
- 直接的な比較による全否定
単に「速い」と喜ぶだけならまだしも、わざわざ「元カレの竜(=ビュウとの甘い思い出の象徴)」を引き合いに出して、新しい男の竜の方が優れていると宣言したこと。
元カレに向かって「今の彼氏のほうが稼ぎがいいわ!」と言うようなものです。
デリカシーという概念が欠落しています。 - プレイヤーの育成努力の否定
ここがゲーマーにとって最も辛い点かもしれません。
サラマンダーは、プレイヤーがアイテムや餌を与え、手塩にかけて育ててきた「相棒」です。
それを「遅い」と切り捨てられたことは、プレイヤー自身の努力と時間を否定されたに等しい感覚を与えました。
主婦が一生懸命作ったお弁当を「コンビニの方が美味しい」と言われたら、ちゃぶ台をひっくり返したくもなりますよね。
2-4. 「思い出の教会」の上書き保存
さらに残酷な展開が続きます。
ヨヨはあろうことか、ビュウと愛を誓ったあの「思い出の教会」へ、今度はパルパレオスを連れて訪れます。
パルパレオスが気遣って
「ここはお前の思い出の場所なのだろう?」
と尋ねると、彼女はこう答えます。
「ううん……思い出の場所なんかじゃない。だって……私たち……これからはじまるんですもの」
彼女の中で、ビュウとの過去は既に「終わったこと」であり、美しい思い出ですらなく、単なる通過点として処理されていました。
ビュウは物陰でその様子を見ていることしかできません。
プレイヤーにとっての「大切な約束の場所」は、目の前で「元カレとの過去を清算し、今カレとの愛を誓う場所」へと上書き保存されたのです。
パソコンのデータならバックアップも取れますが、人の心にバックアップはありません。
完全に消去され、新しいデータが書き込まれた瞬間でした。
2-5. システムが増幅させた「悪意」
ヨヨがこれほどまでに嫌われた背景には、シナリオだけでなく、ゲームシステム自体の「悪意」とも取れる仕様が大きく関わっています。
これが開発者の計算だとしたら、本当に恐ろしいことです。
- 名前変更システムの悲劇
このゲームは主人公とヒロインの名前を変更できました。多くの純粋な少年たちが、主人公に自分の名前を、ヒロインに「好きな女の子の名前」を付けてプレイしました。
その結果、自分の分身が好きな子に裏切られ、目の前でイチャつかれるという、極めて生々しい擬似体験を味わうことになったのです。
これはもう、教育上の配慮が必要なレベルの事故です。 - 生々しいアイテムドロップ
旗艦内のヨヨの部屋に入ると、パルパレオスが慌てて出てくる描写があります。
そして、彼女のベッドを調べると「王女の???」や「12個入りのタンスのアレ」といったアイテムが入手できることがありました。
これらが何を意味するのか……
当時の少年たちには刺激が強すぎる「事後」の暗示でした。 - 選択肢の無意味さ
ビュウには時折選択肢が出ますが、何をどう選んでもヨヨの心は戻らず、物語は変わりません。
この無力感が、プレイヤーの絶望を深めました。
「大人になるって、悲しいことなの……」
とヨヨに言われ、何も言い返せないビュウ。
それは画面の前の私たちの姿でもありました。
2-6. 結末と小説版の救済
物語の最後、ヨヨは神竜と心を通わせる「ドラグナー」として覚醒し、世界を救います。
しかし、その代償は大きなものでした。
戦後、パルパレオスは帝国での戦争責任を取り、民衆の手によって暗殺されます。
ヨヨは愛する人を失い、ビュウもまた
「グッバイ、ヨヨ……」
と言い残し、バハムートと共に空の彼方へ去っていきます。
彼女は女王として即位しますが、その隣には誰もいません。
全てを失い、孤独に国を背負う彼女の姿に、「因果応報の天罰」を感じるか、「哀れな女性の末路」を感じるかは、プレイヤー次第です。
なお、後に発売された小説版では、ビュウはヨヨを「妹」のように思っていた設定に変更され、ヨヨもビュウに対して
「私は貴方に酷いことをした」
「ごめんね」
と明確に謝罪する描写が追加されています。
これは、ゲーム版でのあまりのヘイトに対する、開発側からの「救済措置」だったとも言われています。
公式も「やりすぎた」と思ったのかもしれませんね。
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第3章:崩壊する王道第2の悪女「アリシア」の悲劇

ヨヨが「恋愛感情の裏切り」の象徴なら、第2の悪女アリシアは「物語構造の裏切り」の象徴です。
1994年9月2日発売の『ライブ・ア・ライブ』中世編に登場する彼女は、RPGというジャンルそのものへのアンチテーゼとして機能しました。
3-1. 完璧な王道RPGの皮を被った罠
『ライブ・ア・ライブ』は、西部劇、SF、カンフーなど、異なる時代・場所の7つのシナリオをクリアした後に、「中世編」と呼ばれる隠しシナリオが登場するオムニバス形式のRPGです。
中世編の主人公オルステッドは、武闘大会で優勝し、ルクレチア王国の王女アリシアと婚約します。
美しく優しい王女は
「誰よりもあなたを信じます」
と誓い、直後に魔王にさらわれます。
勇者が魔王を倒し、姫を救う。
誰もが疑わない「ドラゴンクエスト」的な王道ストーリーがここから始まります。
プレイヤーはオルステッドとなり、親友の魔導士ストレイボウと共に魔王の山へ向かいます。
この時点で、プレイヤーはまだ何も疑っていません。
「ああ、最後のご褒美シナリオね」
くらいに思っていたはずです。
3-2. 勇者が「魔王」に堕ちる時
しかし、物語は凄惨な転落劇へと変わります。
魔王を倒したはずのオルステッドは、魔王の幻覚を見せられて誤って国王を殺害してしまい、国を追われ、かつての仲間たちからも命を狙われます。
親友ストレイボウも崩落に巻き込まれて死亡(したと思われました)。
全てを失い、絶望の淵に立たされたオルステッド。
彼に残されたたった一つの希望、生きる理由は「アリシアの救出」だけでした。
彼は傷ついた体を引きずり、再び魔王の山頂へ辿り着きます。
泥だらけになっても、国中から石を投げられても、彼女だけは自分を待っていると信じて。
そこで待っていたのは、死んだはずのストレイボウと、彼に寄り添うアリシアでした。
全ては、常にオルステッドの影に隠れ、劣等感を抱いていたストレイボウが仕組んだ狂言だったのです。
3-3. 決定的な拒絶と自害
親友の裏切りに直面し、激しい戦いの末にストレイボウを倒したオルステッド。
その直後、駆け寄ってきたアリシアが放った言葉が、プレイヤーの心を粉砕しました。
「オルステッド……あなたが来てさえいなければ……ッ!!」
耳を疑うとはこのことです。
彼女は、自分を救うために国を敵に回し、濡れ衣を着せられ、ボロボロになって辿り着いた婚約者に対し、感謝の言葉一つなく、
「ストレイボウとの愛の生活を壊した邪魔者」
として罵倒したのです。
「この人は私のかわりに苦しんでくれた……! あの人の苦しみが、あなたにわかって!?」
とストレイボウを擁護し、彼女は最後にこう叫びます。
「ストレイボウ……私だけは……あなたのそばを離れないッ!!」
そう言い残し、彼女は短剣で自らの胸を突き、オルステッドの目の前で自害しました。
残されたオルステッドには、何もありません。
愛も、友情も、国も、名誉も、生きる目的も全て失いました。
アリシアの死は、彼を絶望の底に突き落とし、人間そのものへの憎しみを爆発させ、彼自身を本物の魔王「オディオ」へと変貌させる最後のトリガー(引き金)となりました。
彼女の死は悲劇的ですが、その死に方が「主人公への最大の攻撃」になってしまっている点が、彼女を悪女たらしめている所以です。
自分が正しいと信じて疑わないまま死んでいく、その純粋さが恐ろしいのです。
3-4. アリシアは被害者か、加害者か?
アリシアの評価は非常に難しく、長年議論されています。
私も時々、ふと彼女のことを考えてしまうことがあります。
- 擁護派の視点
彼女はストレイボウに長期間軟禁され、
「オルステッドは死んだ」
「お前を見捨てた」
といった嘘を吹き込まれ、心理的に支配されていた(ストックホルム症候群)可能性があります。
外界の情報がない中で、目の前の優しくしてくれる男性に依存するのは、人間の心理としてあり得ることです。
彼女から見れば、オルステッドは
「突然現れて愛する人を殺した殺人鬼」
に見えたかもしれません。 - 断罪派の視点
それでもなお、冒頭で交わした「誰よりも信じる」という誓いをあっさり破り、事情も聞かずに一方的に拒絶し、あてつけのように目の前で自殺した罪は重いとされます。
彼女の死こそが、後の世に続く魔王による殺戮の連鎖を生んだ元凶だからです。
2022年に発売されたリメイク版(HD-2D)では、声優による演技が追加されました。
その悲痛な叫びは、彼女もまた運命に翻弄された弱き少女であったことを強調し、プレイヤーに「怒り」よりも「やりきれなさ」を感じさせるものとなっていました。
リメイク版での追加演出「セントアリシア」(ラスボスとしての技)のエフェクトも、彼女の悲劇性を物語っています。
それでも、「悪女」の看板が外れることはないでしょう。
彼女の罪は、プレイヤーの「正義」を殺したことにあるからです。
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第4章:第3の席を巡るミレイユとリノア

ヨヨとアリシアが「殿堂入り」であるのに対し、3人目は長年議論の的となってきました。
ここでは主な候補である2名について解説します。
4-1. 元祖悪女:ミレイユ(『魔界塔士Sa・Ga』)
1989年、ゲームボーイ初のRPGとして発売された本作に登場するミレイユは、歴史的に見て「元祖」と呼べる存在です。
彼女は双子の姉ジャンヌと共にレジスタンス活動をしていましたが、物語の途中で支配者である「白虎」側に寝返り、主人公たちを罠に嵌めます。
その時の台詞があまりに直球でした。
「わたしはつよいものがすきなだけ。レジスタンスなんてまっぴらよ!」
この清々しいまでの裏切りと、権力志向。
現代のSNSなら大炎上間違いなしの発言です。
しかし、彼女が「3大悪女」の筆頭になりきれない理由があります。
それは、直後に姉ジャンヌが彼女を庇って死亡し、そのショックと主人公たちの活躍により改心(あるいは沈黙)するからです。
物語上の出番が短く、ゲームボーイ特有の淡白な演出も相まって、ヨヨやアリシアほどの「粘着質な精神ダメージ」を残さなかったのが、彼女が3番手に甘んじている理由でしょう。
インパクトは強いですが、傷は浅いのです。
4-2. 濡れ衣の悪女?:リノア(『ファイナルファンタジーVIII』)
1999年発売の『FF8』のヒロイン、リノア。
彼女が3人目に挙げられることがありますが、これは現在では多くの専門家やファンから
「不当な評価」
「風評被害」
であると指摘されています。
リノアは、ヨヨやアリシアのように主人公を裏切ったことは一度もありません。
むしろ、物語後半では主人公スコールと相思相愛になり、世界を敵に回しても互いを守り抜こうとする純愛物語のヒロインです。
では、なぜ悪女と呼ばれたのでしょうか?
- 性格への反発(アンチ活動)
発売当時、彼女の天真爛漫すぎる言動(「ハグハグ」「おハロー」等の独特な言い回し)や、序盤で元カレ(サイファー)の存在をちらつかせる態度が、
「ウザい」
「あざとい」
「サークルクラッシャー的」
として一部のプレイヤーから猛烈な反感を買いました。
特に、当時のネット掲示板ではアンチスレッドが乱立していました。 - ミレイユとの混同
これはネット社会の怖いところですが、ネット上のコピペやまとめサイトの一部で、前述したミレイユの「強い者が好きなだけ」という台詞が、誤ってリノアの台詞として紹介された時期がありました。
これにより未プレイ層に誤解が広がりました。 - 「魔女アルティミシア=リノア説」
ファンによる有名な考察で、
「ラスボスの魔女は、スコールを失って狂った未来のリノアである」
という説が流布しました。
これが「世界を滅ぼす元凶」というイメージを植え付け、悪女説を補強してしまった側面があります。
公式には否定されていますが、解釈の余地を残す魅力的な説でもあります。
海外(北米など)では、リノアは「活発で自立したヒロイン」として比較的好意的に受け入れられており、「3大悪女」という概念自体が日本特有のものです。
現在では、リノアを悪女に入れるのは不適切であり、彼女はあくまで
「好き嫌いが分かれる人間味のあるヒロイン」
という評価に落ち着いています。
※ちなみに、『FF7』のユフィも「マテリア泥棒」として嫌われることがありますが、彼女はイベントをこなせば仲間として復帰し、裏切りの動機も「故郷のため」と明確なため、悪女の定義には含まれません。
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第5章なぜスクウェアは彼女たちを生み出したのか?

なぜ、夢と希望を与えるはずのRPGで、これほどまでに救いのないヒロインたちが生まれたのでしょうか?
それは90年代中盤のスクウェアが持っていた、特異なクリエイティブ精神に起因します。
私も仕事をしていて感じますが、クリエイターというのは時に、受け手の感情を逆撫ですることで何かを残そうとする生き物なのかもしれません。
5-1. 「予定調和」への反逆
スーパーファミコン後期からプレイステーション初期にかけて、ハードの性能向上により表現力が飛躍的に上がりました。
それに伴い、クリエイターたちは「子供だましの勧善懲悪」からの脱却を図りました。
「お姫様は助け出されて主人公と結ばれる」「努力は必ず報われる」。
そうした既存のゲーム文法(お約束)を破壊し、
「現実はそう上手くはいかない」
「人間の心は理屈では動かない」
というリアリズムを突きつけようとしたのです。
『バハムートラグーン』の鳥山求氏や、『ライブ・ア・ライブ』の時田貴司氏といった開発者たちは、インタビュー等で
「ありきたりな物語にしたくなかった」
「プレイヤーの感情を揺さぶりたかった」
という趣旨の発言をしています。
彼女たちは、開発者の「尖った作家性」が生み出した、実験的なアンチ・ヒロインだったと言えます。
その試みは、プレイヤーにトラウマを植え付けることには成功しましたが、同時に「忘れられない物語」として心に刻み込むことにも成功しました。
5-2. 25年目の和解と公式化
長い時を経て、プレイヤーたちの怒りは「ネタ」としての愛着へと昇華されました。
スクウェア・エニックス側も、この「3大悪女」というミームを黙認どころか、公式にネタにするまでになりました。
2018年発売の『サガ スカーレットグレイス 緋色の野望』では、闘技場の敵チームとして
「超女軍団」
が登場します。そのメンバーは以下の通りです。
- 幼妖(ヨウヨウ):ヨヨ
- 在りし悪(アリシアク):アリシア
- 美霊幽(ビレイユ):ミレイユ
彼女たちは、かつてのトラウマ技やドラゴン(レンダーバッフェ)を使用してきます。
この瞬間、公式が「スクウェア3大悪女」を正式に認め、歴史の一部として受け入れたのです。
また、『半熟英雄』シリーズに登場する「カトリイネ」というキャラクターも、リノアやヨヨの特徴をパロディ化した存在として描かれています。
ファンにとって、これらは過去のトラウマが笑い話として許された、歴史的和解の瞬間でもありました。
「公式が病気(褒め言葉)」なんてタグがつきそうな展開ですが、これこそが、長い時間をかけて育まれたファンとの信頼関係なのかもしれません。
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結び彼女たちは「悪」だったのか
ヨヨ、アリシア、ミレイユ。彼女たちは確かにプレイヤーを傷つけました。
しかし、だからこそ彼女たちは忘れられない存在となりました。
ただ可愛いだけの、主人公を全肯定してくれる都合の良いヒロインたちは、記憶の彼方へ消えていくことも多い中で、彼女たちは2025年の今でもこうして熱く語られています。
それは、私たちが無意識のうちに求めている「物語のリアリティ」なのかもしれません。
彼女たちは、ゲームの中のキャラクターが、プレイヤーの思い通りにはならない「他者の意志」を持った存在であることを教えてくれました。
その痛みは、少年たちが大人になる過程で通過すべき、ほろ苦い通過儀礼(イニシエーション)だったのかもしれません。
もし、あなたが今、この理不尽な物語を「物語」として客観的に楽しむ余裕があるのなら、ぜひ現代の環境(リメイク版やアーカイブ、あるいは実況動画など)で彼女たちと再会してみてください。
きっとそこには、当時とは違う感情
――「許し」や「哀れみ」、あるいは変わらぬ「怒り」――
が待っているはずです。
それこそが、彼女たちが今なお生き続けている証なのです。
さあ、私もそろそろ夕飯の支度をしなきゃいけません。
今日は夫が早く帰ってくるそうです。
もし彼が「会社の同僚のほうが料理上手でさ」なんて言い出したら……
その時は、私もヨヨのように「ずっとはやい」包丁さばきを見せてやるつもりです。
より深い絶望と、その先にあるカタルシスを求めて
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
しかし、ここで語ったのはあくまで彼女たちの「表層的」な罪と罰に過ぎません。
なぜ、90年代のスクウェア作品はこれほどまでに私たちの心を抉るのか?
単なる「悪女」という言葉では片付けられない、開発者たちが仕掛けたより深遠な心理的トラップや、大人になった今だからこそ理解できる「絶望の攻略法」が存在します。
もしあなたが、
「物語の結末には納得したけれど、まだ心のモヤモヤが晴れない」
「当時のスクウェアが描こうとした『人間の業』について、もっと深く考察したい」
「あるいは、純粋にゲームとして最難関のボスや隠し要素を完全攻略したい」
と感じているなら、次のステップへ進む準備ができています。
以下の記事では、今回紹介した作品を含む、90年代RPGの「深層心理」と「隠されたテーマ」を、さらにディープに掘り下げています。
単なる懐古趣味ではなく、現代を生きる私たちがそこから何を学び、どう糧にするか。
そして、もし今プレイし直すならどう攻略すれば「最高のカタルシス」を得られるのか。
その全てを記しました。
【深層考察】なぜ私たちは「裏切り」に惹かれるのか? 90年代スクウェアRPGに見る「大人のための絶望攻略論」と隠しボス完全撃破ガイドへ進む
