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伝説の映画『“それ”がいる森』はなぜ「つまらない」の向こう側へ到達したのか?徹底考察と全ネタバレ解説

こんな経験、ありませんでしたか?

  • 期待して映画館に行ったのに、開始数分で
    「あれ? チケット買い間違えた?」
    と不安になった。
  • 恐怖に震えるはずが、スクリーンに映る銀色のアイツを見て
    「金返せ」よりも先に「嘘でしょ?」
    という言葉が漏れた。
  • ネットの酷評レビューを見てもなお、
    「一体なにを見せられたんだ」
    というモヤモヤが4年経った今でも晴れないまま。

映画『“それ”がいる森』は、Jホラーの巨匠・中田秀夫監督と国民的アイドル・相葉雅紀さんという最強の布陣で挑みながら、公開直後から歴史的な酷評の嵐にさらされました。

 

しかし、この問題の本質は単に「映画がつまらない」ということではありません。

制作側が仕掛けたマーケティングと、観客が求めていたニーズの間に

修復不可能な「断絶」

があったこと、そして人間の脳が処理しきれないほどの

「ジャンルエラー」

が発生していたことにあります。

 

これらを理解しない限り、あの日のトラウマは解消されません。

 

私は普段、満員電車に揺られながら世の中のトレンドや炎上案件を分析し、記事に落とし込むライターとして活動しています。

過去のアーカイブを脳内で反芻するのが趣味で、特に

「なぜ人は期待し、なぜ失望するのか」

という行動経済学的な視点での考察を得意としています。

 

また、本作のターゲット層とも被る小学4年生の息子を持つ母親として、

「子供向け映画としての側面」「大人の事情」

の両面から、この怪作を徹底的に解剖します。

 

この記事では、2022年の公開当時「予告詐欺」とまで言われたマーケティングの罪深さを皮切りに、ネタバレ全開でストーリーの破綻具合を実況解説します。

さらに、相葉雅紀さんの演技がなぜ「ハマらなかった」のか、そしてあの伝説の「オレンジ」という武器がなぜ採用されたのかを、

論理的かつシュールな視点

で網羅的に分析します。

 

この記事を読めば、あの時感じた「怒り」や「虚無感」の正体が論理的に理解でき、モヤモヤから解放されます。

それだけでなく、この映画を単なる失敗作としてではなく、

「二度と見られない奇跡の事故」

として、笑い話や酒の肴に昇華できるようになるはずです。

 

結論として、『“それ”がいる森』はホラー映画としては落第点ですが、

「人間の期待と失望のメカニズム」を学ぶための教材

としては一級品であり、一周回って愛すべき「怪作」としての地位を確立しています。

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満員電車と「銀色のアイツ」の記憶

今日も東京の満員電車は、ある意味ホラーです。

片道1時間の通勤時間、私の唯一の楽しみは、過去の膨大なアーカイブを脳内で検索し、深掘りすること。

 

今は2026年1月。

世の中はAIだの自動運転だのと騒がしいですが、ふと振り返りたくなる「事件」があります。

 

そう、4年前の2022年、日本中を(悪い意味で)震撼させた映画『“それ”がいる森』のことです。

 

先日、小学4年生になる息子が、学校で

「昔、銀色の宇宙人がオレンジで倒される映画があったらしいよ」

と、まるで都市伝説のように話しているのを聞いて、私は台所で膝から崩れ落ちそうになりました。

 

まだ語り継がれているのか、と。

 

かつて「2022年三大クソ邦画」の一角として勇名を馳せ、興行収入4.8億円という数字以上に、我々の心に深い爪痕(あるいはトラウマ)を残したこの作品。

 

今回は、この「歴史的遺物」を、プロのライターとして、そして一人の母として、さらに言えばちょっと意地悪な視点を持つ分析家として、徹底的に解剖してみようと思います。

 

単に「つまらない」と切り捨てるのは簡単です。

でも、私たちは大人ですから。

なぜ人間の脳はこの映画をここまで拒絶したのか?

 

そこに隠された「制作側の誤算」と「受容側の心理的エラー」を、これでもかというほどロジカルに、かつシュールに紐解いていきましょう。

 

これは、映画レビューを超えた、現代社会における「期待と失望」のケーススタディです。

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まるで詐欺?「ジャンル誤認」が引き起こした最初の悲劇

まず、私たちがこの映画に対して抱いた「怒り」の正体から始めましょう。

それは映画の出来不出来以前の問題。

もっと根本的な、「契約違反」に近い感覚です。

「リング」の幻影とアンカリング効果

2022年当時、私たちは一つの強烈な「アンカー(錨)」を打ち込まれていました。

 

「監督・中田秀夫」。

この文字列だけで、私たちの脳内には井戸から這い出る貞子や、湿度の高い日本の団地、陰湿な水の音が自動再生されます。

 

Jホラーの巨匠が、嵐の相葉雅紀さんとタッグを組む。

ポスターには不気味な森。

キャッチコピーは「未知の恐怖へ」。

 

誰がどう見ても、これは「本格Jホラー」ですよね?

 

行動経済学で言うところの「アンカリング効果」です。

最初に提示された情報(=中田監督のJホラー)が基準となり、その後の評価すべてに影響を及ぼす現象です。

 

私たちは「極上の恐怖」を味わうために、ポップコーンを片手に席につきました。

蓋を開ければ「昭和の特撮大会」

ところが、スクリーンに映し出されたのは何だったか。

 

物語中盤、いや序盤も序盤で、その「アンカー」は引き抜かれ、彼方へ投げ捨てられました。

森の中に現れたのは、幽霊でも呪いでもなく、銀色のボディに大きな黒い目をした、つるんとした「アイツ」。

 

そう、宇宙人です。

それも、スピルバーグが『E.T.』で描いたような愛らしいものでもなければ、『エイリアン』のような生物的恐怖を感じさせるものでもない。

 

まるで昭和のバラエティ番組の再現VTRに出てくるような、典型的な「グレイ型宇宙人」でした。

 

ここで発生するのが、強烈な「損失回避性」です。

 

人間は「何かを得る喜び」よりも「何かを失う痛み」を2倍以上強く感じると言われています(プロスペクト理論)。

私たちは「予想外のSF展開」というサプライズ(利得)を得たのではなく、「期待していたホラー体験」を奪われた(損失)と感じたのです。

 

だからこそ、当時のレビューサイトは

「金返せ」

「時間を返せ」

という怨嗟の声で溢れかえりました。

これは単なる悪口ではなく、損害賠償請求に近い心理状態だったのですね。

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認知的不協和のピーク目の前の「それ」を受け入れられない脳

さて、ここからはネタバレ全開でストーリーの深層へ潜ります。

未見の方は、ある意味で幸せな人生を送っていると言えますが、怖いもの見たさでこの先へ進むのもまた一興です。

チープすぎるVFXが生んだ「虚無」

物語は、福島県(モデルは千貫森というUFOスポット)で農業を営む田中淳一(相葉雅紀)のもとに、東京から家出してきた息子・一也がやってくるところから始まります。

疎遠だった父子の再会。ここまでは良いんです。

 

問題は、森での遭遇シーン。

 

一也と友人たちが森で見つけた「それ」。

2022年の最新映画ですよ?

ハリウッドでは『アバター』が作られている時代ですよ?

 

それなのに、画面の中の宇宙人は、明らかに「質量」を感じさせない、浮いたCGでした。

あるいは、妙にテカテカした着ぐるみのような質感。

 

動きも不自然です。

高速で移動したかと思えば、急にピタッと止まり、小学生相手にプロレス技のようなアクションを仕掛ける。

 

これを見た瞬間、脳内で

「認知的不協和」

が大暴走します。

 

「これはシリアスな映画である」という認識と、「目の前の映像がコントにしか見えない」という現実。

この矛盾を解消するために、脳は一つの結論を導き出します。

 

「これは、笑っていいやつだ」と。

 

劇場で失笑が起きたのは、観客の行儀が悪かったからではありません。

脳がストレスを回避するために起こした、正常な防衛反応だったのです。

なぜ「グレイ」だったのか?

ここで少し、意地悪な考察を。

なぜ中田監督は、あえて手垢のついた「グレイ型」を選んだのでしょうか?

 

考えられるのは、「分かりやすさ」への過剰な配慮です。

あるいは、一周回ってそれが怖いと思ったのか。

 

しかし、情報の海を泳ぐ現代人、特にZ世代やアルファ世代(うちの息子世代ですね)にとって、グレイ型宇宙人はもはや「記号」でしかありません。

絵文字の👽と同じです。

 

未知の恐怖を描くはずが、最も既知で陳腐なデザインを採用してしまった。

ここに、制作陣と観客との間に横たわる、埋めようのない「感覚の断絶」があります。

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脚本の論理崩壊「オレンジ」という最終兵器

映画史に残る(悪い意味で)名シーンといえば、クライマックスの「オレンジ投擲」でしょう。

これについては、私もキーボードを叩く手が震えるほど、ツッコミどころが満載です。

高度な文明 vs 腐ったミカン

宇宙人は、遥か彼方の星から地球へやってきました。

当然、恒星間航行を可能にする超高度な科学技術を持っているはずです。

 

しかし、彼らの弱点は「特定の細菌(あるいは成分)」でした。

それも、主人公・淳一がビニールハウスで栽培していた「オレンジ」に含まれる何かです。

 

……ちょっと待ってください。

 

『宇宙戦争』で宇宙人が地球の細菌にやられるオチは有名ですが、あれはH.G.ウェルズの時代(19世紀末)だから許された古典的アイロニーです。

 

コロナ禍を経て、人類がウイルスや細菌に対して過剰なほど知識を持った2022年に、

「対策もせずに裸で降りてきた宇宙人が、農家のオッサンが投げたオレンジで溶ける」

という展開を、どう受け止めればいいのでしょうか?

物理攻撃というシュールレアリスム

さらに理解不能なのが、宇宙人の攻撃方法です。

 

彼らはビームも出しませんし、サイコキネシスも使いません。

「指を伸ばして突く」

これだけです。

あとは走って追いかけ、タックルし、マウントを取る。

完全に物理攻撃です。

 

対する淳一(相葉雅紀)も負けていません。

オレンジを手に持ち、野球の投手のようなフォームで宇宙人に投げつける。

「食らえ!」

という心の声が聞こえてきそうな、真剣な表情で。

 

このシーン、文字にするとコメディですよね?

でも、映画の中では大真面目なんです。

 

悲壮な音楽が流れ、親子愛が叫ばれる中で、オレンジが宙を舞い、宇宙人が「ギャー!」と悶える。

 

シュールレアリスムの巨匠・ダリも裸足で逃げ出すような、前衛的な光景。

これを「新しいホラーエンターテインメント」と呼ぶには、あまりにも我々の常識が邪魔をします。

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俳優陣の悲劇ミスマッチが生んだ「共感の拒絶」

映画の失敗を俳優のせいにするのは好きではありません。

彼らは脚本と演出に従った被害者かもしれないからです。

しかし、キャスティングの妙(あるいはミス)について触れないわけにはいきません。

相葉雅紀という「善人」の呪縛

相葉雅紀さんは、国民的アイドルです。

バラエティで見せるあの笑顔、優しさ、ちょっと抜けた愛嬌。誰もが彼を好きにならずにはいられない、稀有な才能の持ち主です。

 

これが、ホラー映画においては致命的なノイズとなりました。

 

ホラーの主人公には、ある種の「影」や「狂気」、あるいは極限状態での「醜さ」が必要です。

しかし、画面の中の淳一は、どこまでも「いい人」でした。

 

息子を守ろうと必死な形相を見せても、私たちの目には

「志村どうぶつ園で猛獣に怯える相葉くん」

の延長線上にしか映らない。

 

これを心理学では

「ハロー効果(後光効果)」

の逆噴射とでも呼びましょうか。

彼の持つ強力なポジティブ・イメージが、恐怖というネガティブな感情の没入を阻害してしまったのです。

子役演技と「スタンド・バイ・ミー」ごっこ

そして、息子役の一也(上原剣心/ジャニーズJr.)。

彼についても厳しい意見が飛び交いました。

 

私には同い年の息子がいるので分かりますが、小学4年生男子というのは、もっとこう、無意味に叫んだり、奇妙な動きをしたり、予測不能な生き物です。

 

しかし一也は、常に「説明セリフ」を喋るための装置のようでした。

表情が乏しく、恐怖に直面してもどこか他人事。

 

子供たちが森に秘密基地を作り、宇宙人と戦う展開は、明らかに『IT/イット』や『スタンド・バイ・ミー』、あるいは『グーニーズ』を意識したジュブナイル要素です。

しかし、演技の硬さと演出の拙さが相まって、「やらされている感」が画面から滲み出ていました。

 

子供の純粋な恐怖が伝わってこないホラーほど、退屈なものはありません。

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構造的欠陥の正体なぜ巨匠は「迷走」したのか

中田秀夫監督。Jホラーの父。

なぜ彼ほどの人物が、このような作品を世に出したのか。

これは単なる「才能の枯渇」ではなく、もっと根深い「イノベーションのジレンマ」ではないかと私は推測します。

「Jホラー」という牢獄からの脱出

90年代末、中田監督は『リング』で

「見せない恐怖」

「忍び寄る気配」

という発明をしました。

それは世界を席巻しましたが、同時に彼自身を縛る鎖にもなりました。

 

20年以上が経過し、観客は貞子にも伽椰子にも慣れきってしまった。

「Jホラーも変わらなければならない」。

その焦りが、監督を「動的な恐怖(アクティブ・ホラー)」へと走らせたのでしょう。

 

「幽霊がダメなら宇宙人だ」

「湿った恐怖がダメなら物理攻撃だ」。

その発想自体は、クリエイターとしての生存本能として理解できます。

マーケティング主導の「継ぎ接ぎ」怪獣

しかし、そこに立ちはだかるのが「製作委員会方式」という日本の映画システムの壁です。

 

「主演はジャニーズで」

「親子愛を入れて」

「分かりやすい敵を」

「予算はこれくらいで」

様々な大人の事情というパーツを無理やり縫い合わせた結果、生まれたのはフランケンシュタインのような継ぎ接ぎの怪物でした。

 

SF設定をやるなら、それ相応のVFX予算と科学考証が必要です。

『NOPE/ノープ』(2022年同時期公開)が見せたような、圧倒的な映像美と哲学的深み。

それに対抗するには、竹槍(オレンジ)ではあまりにも無力でした。

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2026年の視点この映画をどう「供養」すべきか

公開から4年。嵐は去り、森は静けさを取り戻しました。

今、冷静な目でこの作品を見直すと、不思議なことに、公開当時とは違った感情が湧いてきます。

「B級グルメ」ならぬ「B級シネマ」としての味わい

ミシュランの三ツ星レストラン(本格ホラー)だと思って入ったら、出てきたのが駄菓子屋のカップ麺(チープなSF)だった。

当時は怒りましたよ。「ふざけるな」と。

 

でも、最初から

「今日はジャンクなものが食べたい」

と思って食べれば、それはそれで味わい深いものです。

 

今、ネットの一部界隈では、この映画を「ツッコミ上映」の聖典として崇める動きがあります。

「CGショボすぎ!」

「警察仕事しろ!」

「オレンジ投げろ!」

酒を飲みながら、画面に向かって友人と罵詈雑言を浴びせる。

そんな「参加型エンターテインメント」として、この映画は第二の人生を歩み始めています。

 

これは、完璧に管理されたAI生成コンテンツが溢れる2026年において、人間味あふれる「失敗」や「隙」を愛でるという、高度な文化的遊びなのかもしれません。

次世代への「ワクチン」として

また、私の息子のような小学生にとっては、この映画は「ちょうどいいホラー」でもあります。

幽霊が出てくる映画はトラウマになって夜トイレに行けなくなりますが、物理攻撃をしてくる宇宙人なら、

「僕もオレンジを投げれば勝てる」

と思えますからね。

 

グロテスクな描写も控えめですし、ストーリーも単純明快(宇宙人が来た→襲われた→オレンジで倒した)で分かりやすく、グロテスクな描写も(R指定がつかない範囲で)抑えられています。

 

「映画って、たまにこういう変なものもあるんだよ」

と教えるための、映像リテラシー教育の教材としては優秀かもしれません。

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結論:つまらない?いいえ「愛すべき事故」です

『“それ”がいる森』は、間違いなく失敗作です。

 

脚本は破綻し、演出は古臭く、演技はミスマッチで、CGは安っぽい。

どこをどう切り取っても、映画的な完成度は低いと言わざるを得ません。

 

しかし、記憶に残るか残らないかで言えば、間違いなく「記憶に残る」映画です。

 

世の中には、綺麗にまとまっているけれど、観終わって3日もすれば忘れてしまう凡作が溢れています。

そんな中で、4年経ってもこうして熱く語りたくなってしまうエネルギー。

「どうしてこうなった?」

「誰か止めなかったの?」

という無限の問いを私たちに投げかける、ある種の哲学的な存在。

 

もしあなたが、完璧な映画体験を求めているなら、絶対に見てはいけません。

でも、人生の不条理を感じたい時、あるいは怖いもの見たさで「伝説」を目撃したい時、そして何より、友人と笑い合いたい夜には、この森へ足を踏み入れてみるのも悪くないかもしれません。

 

ただし、鑑賞のお供にはポップコーンではなく、ぜひ「オレンジ」を用意してくださいね。

それが、この映画に対する最大のリスペクトであり、最強の魔除けになるのですから。

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