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果てしなきスカーレットはなぜ大爆死したのか?つまらない理由と絶望の112分を徹底解剖【感想まとめ】

2025年も師走。

街はクリスマスソングとイルミネーションで浮き足立っていますが、私の心は少し冷えています。

 

いえ、懐具合の話ではありません(まあ、小4息子のクリスマスプレゼントの要求額が急騰して震えてはいますが)。

映画ファンの間で、そして私のSNSのタイムラインで、ある一つの「事件」が起きているからです。

 

そう、11月21日に公開された細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』のことです。

 

公開から約1ヶ月。

ネット上では

「今年ワースト」

「虚無」

「懲役112分」

という、穏やかではない言葉が飛び交っています。

『サマーウォーズ』で私たちの夏を彩った、あの国民的作家の新作が、なぜこれほどまでに拒絶されてしまったのか。

 

往復2時間の通勤電車でスマホを睨みつけ、家に帰って義父母が寝静まった後にPCで膨大なデータを検証しました。

そこで見えてきたのは、単なる「失敗」ではない、構造的な崩壊の姿でした。

 

この記事では、一人の映画ファンとして、そして言葉を紡ぐライターとして、この巨大な「事故現場」を徹底的に解剖します。

これから観に行こうか迷っているあなたのお財布を守るために、あるいは既に観てしまってモヤモヤしているあなたの心を救済するために。

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あなたは今、こんなモヤモヤを抱えていませんか?

  • 「映画館で観たけれど、結局何が言いたかったのかサッパリわからず、『自分の理解力が低いのか?』と不安になっている」
  • 「SNSで『酷評』と『信者』の意見が真っ二つに割れていて、本当はどうなのか、2000円を払って確かめるべきか迷っている」
  • 「かつての細田守作品が大好きだっただけに、変わり果てた作風に裏切られたようなショックを受けている」

誰も言わなかった「つまらない」の正体と、その背景にある病理

『果てしなきスカーレット』の問題は、単に「ストーリーがつまらない」という一言で片付けられるものではありません。

そこには、

「作家性の暴走」「観客の期待との致命的なミスマッチ」、そして「誰も監督にNOと言えなかった制作体制の歪み」

という、根深い背景が存在します。

 

映画興行の世界では、初動の数字が全てを物語ります。

しかし、本作が突きつけた数字は「不振」の域を超え、日本アニメーション映画のビジネスモデルそのものに警鐘を鳴らすレベルの「崩壊」でした。

 

なぜ、プロフェッショナルが集まって作った映画が、ここまで観客の心を逆撫でする形になってしまったのか。

そのメカニズムを解き明かさなければ、私たちのモヤモヤは晴れません。

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この記事を書いているのはこんな人

  • 徹底的なリサーチ鬼
    業界データ、国内外のレビュー1000件以上、過去の細田作品の制作インタビューまで網羅的に分析。
    通勤時間の全てを情報収集に捧げました。
  • 働く母の金銭感覚
    2000円というチケット代と、忙しい日常から捻出した2時間の重みを誰よりも理解しています。
    主婦目線での「コスパ」評価には自信があります。
  • プロライター
    シェイクスピアからラノベまで読み漁った経験を活かし、脚本構造の欠陥をロジカルに分解します。

この記事でわかること(ネタバレ全開の解剖書)

この記事では、以下の内容を忖度なしで、かつ分かりやすく解説します。

  • 【数字の真実】 興行収入が前作比75%減となった衝撃のデータと、映画館が「ガラガラ」になった本当の理由
  • 【脚本の闇】 『ハムレット』と『神曲』を混ぜて失敗した「ごちゃ混ぜ脚本」の構造的欠陥を全ネタバレ解析
  • 【演出の暴走】 劇場を凍りつかせた伝説の「渋谷ダンスシーン」と、3DCGが生んだ「不気味の谷」現象の詳細
  • 【キャラ崩壊】 なぜ誰も感情移入できないのか? 現代人・聖(セイ)が「一番嫌われるキャラ」になった理由

この記事を読むメリット

  • 無駄な出費と時間を回避できる
    この記事を読めば、映画館に行くべきかどうかの最終判断が、自信を持って下せるようになります。
  • モヤモヤが言語化されてスッキリする
    「あそこが変だった!」という違和感の正体が論理的に説明されることで、消化不良だった鑑賞体験が「分析」へと昇華されます。
  • 映画の裏側が見えてくる
    単なる作品批判に留まらず、クリエイターが陥りやすい罠や制作現場の構造を知ることで、エンタメをより深く楽しめる視点が手に入ります。

結論これは「映画」というより「高額な実験」だった

結論から言えば、『果てしなきスカーレット』は、

「エンターテインメントとしては破綻しているが、クリエイターの苦悩と暴走が刻まれた怪作」

です。

 

あなたが「爽快感」や「感動」を求めているなら、回れ右を推奨します。

しかし、なぜこの事故が起きたのかを知ることは、ある意味で映画本編よりもスリリングな体験になるはずです。

 

それでは、覚悟を決めて、この「果てしなき」闇の中へ足を踏み入れていきましょう。

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第1章 数字は嘘をつかない歴史的大敗北の記録

まずは、感情論を抜きにして現実を見つめましょう。

主観的な「面白い・つまらない」は人それぞれですが、興行データという数字は冷酷なまでに事実を突きつけます。

2025年12月現在、本作が叩き出している数字は、もはや「事故」です。

前作比75%減! 目も当てられない初動成績

公開初週の週末、映画業界関係者の顔色は真っ青だったに違いありません。

『果てしなきスカーレット』の公開初動3日間(11月21日〜23日)の興行収入は、約2.1億円。

動員数は約13.6万人でした。

 

「2億なら結構すごいじゃない?」

と思いますか?

いえいえ、比べてみてください。

4年前の細田監督の前作『竜とそばかすの姫』の数字を。

『竜そば』は、同じ初動3日間で興収約8.9億円、動員約60万人を記録しています。

 

電卓を叩かなくても分かりますよね。

約4分の1以下

にまで激減しているんです。

75%オフですよ。

スーパーのタイムセールでもそこまで安くなりません。

東宝配給で全国400館規模という、日本最大級のスクリーン数を確保してのこの数字。

これはもう「不振」とか「伸び悩み」なんて言葉では片付けられません。

「大爆死」

「壊滅的」

と言って差し支えないでしょう。

都心のIMAXが「貸し切り状態」という異常事態

公開初週の日曜日、私はSNSである報告を目にしました。

「都内のIMAX、ゴールデンタイムなのに観客が5人しかいない」。

 

嘘でしょ?

と思いました。

IMAXって、追加料金(3000円近く!)を払ってでも最高の環境で観たいという熱心なファンが集まる場所です。

しかも公開直後の日曜日。

それがガラガラなんて、映画館の電気代すら賄えるか怪しいレベルです。

座席稼働率(Occupancy Rate)は驚愕の5%前後。

 

なぜこんなことになったのか。

理由は明白です。

「悪評の拡散スピードが、音速を超えていた」から。

 

今の時代、金曜日の朝一で観た人の感想が、昼にはX(旧Twitter)で拡散され、夕方にはYouTubeでレビュー動画が上がり始めます。

その初期反応が、あまりにもネガティブ一色だった。

「つまらない」

「地雷だ」

「金返せ」

この情報が光の速さで広まり、土日のチケットを買おうとしていた層が「あ、やめとこ」と賢明な判断を下した。

それが、この数字に直結しています。

「懲役112分、罰金2000円」のレッテル

観客の満足度を示すレビューサイトのスコアも、悲惨なことになっています。

2025年12月現在、映画.comでの評価は★2.8、Filmarksでは★2.9。Yahoo!映画でも★2.7あたりをうろうろしています。

 

普段あまり映画レビューを見ない方に説明すると、★3.5を超えれば「良作」、★4.0を超えれば「傑作」というのが相場です。

逆に★3.0を下回るというのは、「よっぽど人を選ぶ」か「明らかな欠陥がある」作品だと見なされます。

しかも、評価の内訳を見てみると、★5(絶賛)と★1(酷評)に真っ二つに割れている……というよりは、★1と★2が圧倒的に多い「低空飛行」型です。

 

SNSでは「懲役112分、罰金2000円」なんていう、ウィットに富んだ(そして残酷な)パワーワードまで生まれました。

映画鑑賞を「懲役」、チケット代を「罰金」と表現するなんて、よっぽどのストレスを感じないと出てこない言葉ですよね。

 

私も主婦として、2000円あったら何ができるか考えちゃいますもん。

スーパーでちょっといいお肉が買えるし、ランチならデザート付きで贅沢できる。

その2000円と、貴重な休日の2時間を「ドブに捨てた」と感じさせてしまった罪は重いです。

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第2章 脚本の解剖室物語はどこで「死んだ」のか

さて、ここからは

「なぜそんなにつまらないのか」

の中身に切り込んでいきます。

いわば検死解剖です。

ネタバレ全開でいきますので、これから観る予定がある奇特な方は、ここでブラウザバックしてくださいね。(本当に、戻るなら今ですよ?)

 

多くの人が指摘している通り、この映画の最大の死因は「脚本」にあります。

映像がどれだけ綺麗でも、声優がどれだけ頑張っても、土台である脚本が腐っていたら家は建ちません。

そしてこの映画は、基礎工事の段階で設計図が破綻していたようなものです。

 

細田監督が単独で脚本を手がけた本作。

やりたいこと、伝えたいメッセージ、オマージュしたい古典……

詰め込みたい具材が多すぎて、鍋から溢れ出し、味が混ざり合って

「何味かわからない闇鍋」

になってしまいました。

1. 冒頭5分のつまづき:説明セリフの集中砲火

映画が始まってすぐ、私は嫌な予感がしました。

主人公のスカーレットが目覚めた場所は「死者の国(The Otherworld)」。

ここまではいいんです。

ファンタジーですから。

 

でも、そこからの展開がまずい。

登場人物たちが、ひたすら「設定」を喋り続けるんです。

「ここは現世と時間の流れが違う」

「肉体を持ってここに来るには特別な条件がある」

「煉獄の門を開くには……」

 

あのですね、私たちは映画を観に来たのであって、ゲームの設定資料集や家電の取扱説明書を読みに来たわけじゃないんです。

「Show, don't tell(語るな、見せろ)」

というのは、物語作りの基本中の基本。

例えば、スカーレットが壁をすり抜けようとしてぶつかるとか、水に触れたら手が透けるとか、そういう「映像」でルールを見せてくれればいいのに、全部セリフで説明しちゃう。

 

しかも、その説明が長い!

難解!

隣の席に座っていた高校生くらいの男の子たちが、開始15分でスマホをチラチラ見始めたのを私は見逃しませんでした。

そりゃそうです。

学校の授業より退屈な講義がいきなり始まるんですから。

 

そして致命的なのが、それだけ説明したくせに、設定に矛盾があること。

「死者の国」は精神世界なのか物理的な異世界なのか、最後までふわっとしています。

あるシーンでは「心の問題だ」と言い、別のシーンでは「物理攻撃が効く」と言う。

観客は

「え? さっきと言ってること違くない?」

というノイズが頭から離れず、物語に没入する入り口で門前払いされてしまうのです。

2. 『ハムレット』×『神曲』=消化不良の極み

本作の売り文句の一つが「シェイクスピアの『ハムレット』とダンテの『神曲』に着想を得た」という点でした。

高尚ですね。

文学的ですね。

でも、これが完全に裏目に出ています。

 

原作『ハムレット』の面白さは、主人公の優柔不断さと狂気にあります。

「生きるべきか、死ぬべきか」

と悩み続け、復讐のチャンスがあるのにあえて見逃し、その結果、周囲を巻き込んで破滅していく。

そのドロドロとした人間臭さが魅力なんです。

 

一方、本作のスカーレットはどうでしょう。

「叔父をぶっ殺す!」

と叫んで剣を振り回す、単細胞なバーサーカー(狂戦士)になっています。

ハムレット的な「苦悩」の深みがなく、ただヒステリックに怒っているだけに見える。

 

そのくせ、物語の着地点は「復讐の連鎖を断ち切る」という、現代的な「いい話」に設定されている。

 

これ、食い合わせが最悪なんです。

前半で「復讐劇」としてカタルシスを煽っておきながら、後半で「復讐なんてダメだよ」と梯子を外す。

観客としては

「じゃあ前半のアクションは何だったの?」

となります。

古典の重厚さを借りてきたつもりが、上澄みだけをすくって薄めてしまったせいで、

「教養のある人には浅く、子供には難解」

という、誰得な仕上がりになってしまいました。

3. 「ごちゃ混ぜ定食」が生んだ混乱

脚本の構成も支離滅裂です。

「中世ヨーロッパ風の復讐劇」をやっていたかと思えば、急に「現代日本からのタイムスリップ(異世界転生)」要素が入り込み、さらに「死後の世界を巡るロードムービー」になり、極め付けに「ミュージカル」が始まる。

 

例えるなら、高級フレンチのコース料理を期待して席に着いたら、前菜に餃子が出てきて、スープの代わりに味噌汁、メインディッシュはショートケーキで、最後にお茶漬けが出てきたようなものです。

個々の味は悪くないかもしれないけど、コースとしては破綻している。

 

シーンとシーンの繋がり(文脈)が断絶しているので、観客の感情がついていけません。

「悲しいシーン」の直後に「コミカルなシーン」がきたり、「シリアスな殺陣」のあとに「唐突なダンス」がきたり。

監督の頭の中では繋がっているのかもしれませんが、スクリーンを見ている私たちには、その接続コードが見えないんです。

「誕生日に子供が好きなハンバーグと寿司とカレーとラーメンを全部出した」

みたいな、カオスな食卓を見せられている気分でした。

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第3章 演出の暴走伝説の「謎ダンス」と不気味の谷

脚本がダメでも、演出が凄ければ「映像体験」としては成立することもあります。

しかし残念ながら、本作の演出は脚本の傷口に塩を塗り込むような結果になってしまいました。

特に「あのシーン」は、もはや伝説です。

ネットを震撼させた「渋谷ダンス事件」

もう、これを語らずしてこの映画は語れません。

中盤の、あのシーンです。

 

物語の中盤、スカーレットと、現代から来た看護師の聖(セイ)は、死者の国の荒野を旅しています。

叔父への復讐心を燃やすスカーレットと、それを諌める聖。

シリアスな問答が続いています。

 

その直後です。

場面転換とともに、二人はなぜか「現代の渋谷スクランブル交差点」のような場所に立っています。

(死者の国の中に、記憶が具現化した場所がある……という設定らしいですが、説明不足で意味不明です)

そして、何の前触れもなくポップなJ-POP調の曲が流れ出し、二人が踊り出すのです。

 

……は?

 

劇場全体の空気が、物理的に「スンッ」となった音が聞こえました。

ミュージカル映画ならわかりますよ。

最初から「歌って踊る映画です」と提示されていれば。

でもここまで1時間近く、重苦しいダークファンタジーを見せられてきたんです。

そこで急に、フラッシュモブのようなダンス。

 

しかも、このダンスが物語に何の影響も与えない。

「踊ったら心が通じ合った」とか「魔力が解放された」とかあればいいんですが、踊り終わったら何事もなかったかのように元の旅に戻るんです。

 

「『ラ・ラ・ランド』がやりたかっただけでは?」

「TikTok向けの切り抜き動画を意識した?」

 

色々な憶測が飛び交いましたが、結論としては「監督がやりたかったから入れた」以上の理由が見当たりません。

観客の没入感を強制的に解除し、

「自分は何を見せられているんだ?」

と現実に引き戻す、最強の覚醒スイッチでした。

これを入れることを止めるスタッフはいなかったのでしょうか。

それとも止めたけど押し切られたのでしょうか。

組織の闇を感じます。

フル3DCGが招いた「不気味の谷」現象

細田監督は本作で、これまでの手描きスタイル(2D作画)から大きく舵を切り、フル3DCGに近い映像表現に挑戦しました。

4年半かけたという映像美は、確かに凄いです。

背景の書き込み、光の粒子、ドラゴンの鱗の質感。世界最高峰と言っても過言ではありません。

 

ただ、問題はキャラクターです。

リアルな等身と質感を持った3Dキャラクターが、芦田愛菜さんや役所広司さんの生々しい演技に合わせて動く。

ここで発生したのが、いわゆる「不気味の谷」現象です。

 

人間そっくりなんだけど、どこか人間じゃない。

目の動きが微妙に虚ろだったり、口の動きが声とズレていたり。

特に、スカーレットが泣き叫ぶ感情的なシーンで、表情筋の動きが作り物めいて見えてしまい、観客の感情移入を拒絶してしまうんです。

 

手描きのアニメーションには「嘘」が許されます。

デフォルメされた表情の方が、かえって感情が伝わることがある。

でも、リアルなCGにしすぎたことで、その「愛嬌」や「魂」が削ぎ落とされてしまった。

「映像は綺麗なのに、なんか怖い」

「人形劇を見ているみたい」

という感想が多いのは、この技術的な選択ミスによるものでしょう。

画面が暗すぎて眠気を誘う

もう一点、地味ですが深刻なのが「画面の暗さ」です。

「死者の国」という設定上、仕方ないのかもしれませんが、映画の8割が薄暗い荒野か、夜のシーンです。

 

細田作品といえば、『サマーウォーズ』の入道雲や、『おおかみこども』の雪原のような、目に痛いほど鮮やかな色彩が魅力でした。

あの「抜け感」が、本作には皆無です。

112分間、ずっと曇天の下を歩かされているような閉塞感。

これが、脚本の停滞感と相まって、強烈な眠気を誘発します。

私の後ろの席からは、中盤あたりから規則正しい寝息が聞こえてきました。

責められませんよ、あれは。

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第4章 キャラクターという虚無誰にも共感できない地獄

映画における最大の罪、それは「キャラクターを愛せないこと」かもしれません。

どんなに話が破綻していても、キャラさえ良ければファンはつきます。

でも、本作のキャラクターたちは、まるで観客をイラつかせるために設計されたかのようです。

現代人・聖(セイ):物語を破壊する「正論モンスター」

本作の評価を地の底まで叩き落とした戦犯。

それが、現代日本からやってきた看護師の青年・聖(セイ/CV:岡田将生)です。

彼の役割は、復讐に燃えるスカーレットを止める「良心」のポジション。

でも、その描き方が致命的でした。

 

中世の過酷な世界、家族を殺され、国を奪われた王女に対して、彼は現代日本の安全圏から持ち込んだ倫理観で説教を垂れます。

「復讐なんて何も生まないよ」

「話し合えばわかる」

「命は大事だ」

 

言ってることは正しいです。

正論です。

でも、TPO(時と場所と場合)ってものがあるでしょう!

 

目の前で殺されそうになっているのに「暴力反対」。

相手は悪逆非道の限りを尽くした叔父なのに「許そう」。

観客はスカーレットに感情移入して「仇を討て!」と熱くなっているのに、横から冷水をぶっかけてくる。

これ、一番嫌われるパターンです。

「異世界転生もの」でよくある「現代知識でマウントを取る主人公」の、一番悪い形が出てしまっています。

 

岡田将生さんの声は素敵なのに、彼が喋れば喋るほど、劇場内のヘイト(憎悪)ゲージが溜まっていくのがわかりました。

「お前が黙れ」と心の中で突っ込んだ人は、私だけじゃないはずです。

スカーレット:情緒不安定な「萌え」と「狂気」の狭間

主人公のスカーレットもまた、一貫性のないキャラクターです。

「復讐の鬼」として描かれているはずなのに、ふとした瞬間に妙に「女の子らしさ」を強調する演出が入ります。

 

例えば、深手を負って血を流しているシリアスな場面で、手当てをしようとした聖に対して過剰に恥じらってみたり。

「え、今そういう空気じゃないよね?」

と観客はドン引きです。

監督の中にある

「戦う少女だけど、守ってあげたい可愛さもある」

という理想像を詰め込みすぎて、人格が分裂してしまっている。

 

芦田愛菜さんの演技は本当に素晴らしかった。絶叫シーンなんて鳥肌が立ちました。

彼女は120%の仕事をしています。

でも、その熱演が、脚本の空虚さを逆に際立たせてしまうんです。

「あんなに必死に演じているのに、キャラの行動原理が意味不明」

という悲劇。

彼女の才能の無駄遣いと言われても仕方ありません。

 

「芦田愛菜ちゃんだと気付かなかった」

という声も多かったですが、それは彼女がキャラに同化していた証拠。

それだけに、キャラそのものの魅力のなさが悔やまれます。

豪華声優陣の無駄遣い

役所広司さん演じる叔父クローディアスも、吉田鋼太郎さん演じる父王も、声の圧力はすごいです。

日本を代表する名優ですから。

でも、言ってるセリフが薄っぺらい。

 

悪役は「ワハハ、私が権力を握るのだ」という昭和の悪役みたいなことしか言わないし、父王は「許せ」としか言わないbotみたいになっている。

一流の食材(声優)を使って、レトルト以下の料理を作ってしまった。

そんな贅沢な失敗がここにあります。

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第5章 なぜ誰も止めなかったのか?スタジオ地図の「裸の王様」問題

ここまで見てきて、一つの大きな疑問が浮かびます。

「なぜ、制作の過程で誰も『これ、おかしくないですか?』と言わなかったのか?」

天下の細田守監督です。

スタジオ地図です。

優秀なスタッフがたくさんいたはずです。

「脚本家不在」の代償

細田作品のファンならご存知でしょうが、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』。

これら初期の名作には、共通して奥寺佐渡子さんという脚本家が参加していました。

彼女は、監督の溢れ出るイマジネーションや作家性を、論理的な物語構造に落とし込み、エンターテインメントとして成立させる「翻訳者」であり「整頓係」でした。

 

しかし、『バケモノの子』以降、監督は単独脚本(あるいは原作兼任)にこだわり始めます。

それ以降、『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』と、映像美は進化する一方で、ストーリーの粗さや独りよがりな展開が指摘されるようになりました。

今回の『果てしなきスカーレット』は、その「ブレーキ役不在」の弊害が、最悪の形で爆発したと言えます。

監督の脳内にあるイメージを、誰も整理整頓できなかったのです。

成功のパラドックス

クリエイターが偉大になればなるほど、周囲はイエスマンばかりになりがちです。

これは古今東西、あらゆる組織で起きる現象です。

「監督のやることに間違いはない」

「これが天才の感性なんだ」

あるいは、「おかしい」と思っても口に出せない空気があったのかもしれません。

 

プロデューサーの役割は、クリエイターを守ることであると同時に、客観的な視点で「それは観客に伝わらない」と指摘することでもあります。

しかし、スタジオ地図という組織が監督の作家性を守ることに特化しすぎた結果、品質管理(クオリティ・コントロール)の機能不全を起こしてしまった。

「裸の王様」になってしまった監督に、暖かい服を着せてあげる人が誰もいなかった。

この映画の本当の悲劇は、そこにあるのかもしれません。

マーケティングの罪:「焼肉詐欺」

もう一つ、観客を怒らせた要因に「宣伝の嘘」があります。

テレビCMやポスターでは、過去のヒット作『サマーウォーズ』や『時かけ』の映像をふんだんに使い、「あの感動を再び」「細田守の集大成」と煽りました。

観客は

「あ、今回は王道のエンタメなんだな」

「家族で見に行けるやつだな」

と思いますよね。

 

でも、実際に出てきたのは、暗くて重くて難解な復讐劇。

これ、例えるなら「焼肉食べ放題!」という看板につられて店に入ったら、出てきたのが「シェフの気まぐれ創作精進料理(味付けなし)」だったようなものです。

料理が美味しいか不味いか以前に、「メニューと違うじゃん!」という怒りが湧くのは当然です。

期待値のコントロールに完全に失敗しています。

 

「これは作家性の強いアート映画です」と最初から言っていれば、ここまで叩かれることはなかったかもしれません。

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第6章 結論「つまらない」の正体と、これから

そろそろまとめましょう。

『果てしなきスカーレット』がなぜ「つまらない」と酷評されたのか。

それは、

「期待と提供の致命的なミスマッチ」

に尽きます。

 

観客は、細田守監督に「爽やかな夏の冒険」や「家族の絆」、そして「わかりやすいカタルシス」を期待していました。

テレビCMもそう期待させるように宣伝しました。

しかし、お出しされたのは「難解で、説教臭くて、構造が破綻したダークファンタジー」でした。

しかも、その中身(脚本)が生煮えだった。

この映画は「駄作」か?

エンターテインメント映画として評価するなら、残念ながら「駄作」という評価は免れないでしょう。

観客を楽しませるための配慮が欠落しています。

2000円と112分を費やす価値があるかと言われれば、私は首を横に振ります。

 

ただ、個人的には「嫌いになりきれない」部分も、ほんの数ミリだけあります。

それは、監督が安易なヒット作の再生産(サマーウォーズ2みたいなもの)に逃げず、リスクを冒してでも「新しいこと」に挑もうとした姿勢そのものです。

3DCGへの挑戦、古典の再解釈、現代社会へのメッセージ。

結果として全部失敗しましたし、見ていて苦痛でしたが、その「あがき」の痕跡だけは、フィルムの端々に焼き付いています。

私たちはこの映画をどう記憶するべきか

もし、あなたがまだこの映画を観ていないなら。

悪いことは言いません。

その2000円と2時間は、他のことに使ってください。

美味しいランチを食べるもよし、家族と公園に行くもよし、Netflixで『サマーウォーズ』を見返すもよし。

 

でも、もしあなたが

「映画作りとは何か」

「作家の暴走とは何か」

「なぜプロジェクトは失敗するのか」

という、少し意地悪でアカデミックな興味を持っているなら……

一度、観てみるのも一興かもしれません。

ネットで話題の「謎ダンス」や「聖のウザさ」を自分の目で確かめたとき、あなたはきっと、画面に向かってツッコミを入れながら、奇妙な高揚感を覚えるはずです。

「ある意味、すごいものを見た」と。

 

『果てしなきスカーレット』。

この映画は、日本アニメーション史における巨大な「教訓」として、長く語り継がれることになるでしょう。

「脚本は大事だよ」

「客観性は持とうね」

「予告編で嘘をついちゃダメだよ」

そんな当たり前のことを、数十億円という巨額の授業料を払って教えてくれたのですから。

 

さて、そろそろ夕飯の支度をしなきゃ。

今日のメニューはカレーにしようかな。

あ、もちろん、隠し味に変なものは入れませんよ。

ハンバーグもお寿司も入れません。

王道の、みんなが笑顔になれる普通のカレーをね。

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