ここから、犯人の正体とラストまでのネタバレがあります。李相日監督の映画『怒り』は、2016年に公開されました。
千葉の田代、東京の直人、沖縄の田中。三人とも過去がよく分からず、誰かに信じてもらって暮らしています。そこへ殺人犯の顔写真が重なると、さっきまで優しく見えた人まで疑わしくなる。観ているこちらも、にわか探偵になってしまいますよね。しかも、あまり当てにならない探偵です。
八王子で夫婦を殺したのは、沖縄で田中信吾と名乗っていた山神一也です。ただ、正体が分かったあとも、千葉と東京で失われた信頼は簡単に戻りません。愛子には田代を迎えに行く機会が残り、優馬は直人を失い、辰哉は信じた田中を自分の手で殺してしまいます。
怒り(映画)の犯人は田中信吾。八王子の山神一也は沖縄にいた

発端は八王子の夫婦殺害事件です。現場の壁には、血で書かれた「怒」の文字。犯人として山神一也の名前が浮かびますが、顔を整形して逃げ続け、事件から一年が過ぎても逮捕されていません。
そのころ、離れた三つの場所に、素性の分からない男が現れます。疑われる三人と、そばにいる人を並べるとこうなります。
| 場所 | 疑われる男 | 近くにいる人 | 本編で明らかになること |
|---|---|---|---|
| 千葉 | 田代哲也(松山ケンイチ) | 槙愛子、父の槙洋平 | 借金取りから逃れるため名前を変えていた。山神ではない |
| 東京 | 大西直人(綾野剛) | 藤田優馬 | 持病を抱えており、優馬の家を去ったあとに死亡。山神ではない |
| 沖縄 | 田中信吾(森山未來) | 小宮山泉、知念辰哉 | 正体は山神一也。辰哉に刺されて死亡 |
三人は別々の人物で、殺人犯は田中だけです。田代が偽名だった事情も、直人の体調が悪かった理由も、後に分かります。口数が少ないだけで犯人候補に入るなら、疲れた日の私は相当怪しいでしょう。返事がほぼ「うん」ですから。
田中の正体が決定的になるのは、沖縄の廃墟と、その後の捜査です。そこにも「怒」が残り、辰哉が彼を刺したあと、死んだ田中が八王子の山神だったと明らかになります。犯人は逮捕されて罪を語る前に、命を落とすんです。
千葉の結末は、愛子と洋平が田代をもう一度迎える

愛子の弁当から始まった、二人の暮らし
槙洋平は、家出して歌舞伎町の風俗店で働いていた娘の愛子を、千葉の港町へ連れ戻します。そこで愛子が親しくなるのが、漁港で働く田代哲也。愛子が田代の弁当を作るようになり、二人は恋人になって、アパートで一緒に暮らし始めます。
洋平にとって、田代はまじめに働く青年です。それでも、娘の恋人となると気になるのが身元。田代の以前の職場を訪ねると、そこで別の名前を使っていたことが分かります。
愛子は、田代が親の借金をめぐって追われ、名前を変えながら逃げている事情を知っていました。洋平には、それで娘を安心して任せられるほどの確信がありません。さらにテレビに映った山神の顔が、田代に似て見えてしまう。そこまで知った洋平が、田代を疑わずにいられるでしょうか。
愛子は四十万円を渡しながら、警察に通報する
愛子も田代を疑うようになります。そして田代のバッグに四十万円を入れ、電話で、八王子の犯人ではないなら昼までに戻ってほしいと求めます。ところが、彼は帰ってきませんでした。
愛子は警察へ通報し、洋平にそのことを打ち明けます。逃げるためのお金を渡したのに、警察にも知らせてしまう。好きな相手を助けたい気持ちと、相手が怖いという気持ちが、一つの行動の中でぶつかっているんですね。
この四十万円に、私は愛子の迷いを感じます。犯人かもしれないと思っても、彼が追い詰められるのを見たくなかったのでしょう。
指紋が違うと分かり、田代を迎えに行く
警察が指紋を照合すると、田代の指紋は山神のものと一致せず、八王子事件の犯人ではないと分かります。愛子は泣き崩れ、洋平も打ちのめされます。田代を疑った自分たちへの後悔です。
その後、二人のもとに入ったのが田代からの電話です。洋平は戻ってくるように呼びかけ、愛子は彼を迎えに行きます。田代が愛子と洋平のもとへ帰ってくるんです!
愛子たちは一度、田代との関係を壊しました。それでも、彼に連絡してもらえた。
東京の結末は、直人の病死を知った優馬の後悔
直人は優馬の母にも寄り添った
藤田優馬は、男性同士の出会いの場で大西直人と知り合います。住む場所の定まらない直人を家へ呼び、やがて二人は一緒に暮らすようになります。身元もよく知らない相手を自分の部屋に入れるのですから、優馬にも、直人を信じたい気持ちはあったんです。
直人は、優馬の母が入るホスピスにも足を運びます。優馬が仕事をしている間も母に付き添い、母が亡くなるときにはそばにいました。
だからこそ、優馬が直人を疑い始めると苦しい。あれだけ母に優しくしてくれた人のことを、知人宅で起きた空き巣の犯人かもしれないと思ってしまいます。
女性との面会を疑い、警察の電話にも「知らない」と答える
優馬がカフェで目にしたのは、女性と親しげに話す直人の姿でした。二人の関係を知らない優馬は、自分を裏切っているのではないかと直人を問い詰めます。それきり直人は家を出て、連絡が取れなくなりました。
直人を知っているかと警察から電話がかかってきても、山神ではないかと疑う優馬は「知らない」と答えます。直人の荷物も処分しました。
薫は直人の持病と死を優馬に伝える
後に優馬は、カフェで直人と一緒にいた女性、薫に再会します。薫と直人は同じ施設で育った、兄妹のような関係でした。優馬が疑った男女の恋人同士ではなかったのです。
薫から、直人には以前から心臓の病気があり、家を出たあと、公園で倒れて亡くなったことが分かります。直人は空き巣犯でも山神でもなく、病気を抱えたまま優馬と暮らしていた青年です。
優馬は、直人を信じられなかったことを悔やんで泣きます。直人の無実が分かっても、優馬には謝る相手がもういません。千葉では電話の向こうに田代がいました。東京では、会いたい人の居場所を尋ねたとき、すでにその人が亡くなっている。この差が痛いんです。
沖縄の結末は、田中の裏切り、辰哉が田中を刺す場面、泉の叫び
泉と辰哉が、無人島の田中に近づく
小宮山泉は母と沖縄に移り、同級生の知念辰哉と親しくなります。辰哉のボートで無人島へ行った泉は、廃墟に暮らす田中信吾に出会います。自由に旅をしているような田中に、泉はひかれていきました。
その後、泉と辰哉は那覇で田中と再会し、三人で食事をします。辰哉は酒に酔い、泉とはぐれてしまいました。彼を探すうち、泉は米兵が集まる場所へ。公園で、泉は米兵から性暴力を受けます。
辰哉はその場にいたものの、怖くて泉を助けられませんでした。どこからか警察を呼ぶ声がして、米兵は立ち去ります。泉は辰哉に、警察にも、ほかの誰にも言わないでほしいと頼みます。それから家にこもるようになりました。
助けられなかった辰哉に、田中が味方として近づく
泉を助けられなかった辰哉も、この夜を悔やんでいました。田中に、被害者が泉だということを伏せて相談します。田中は辰哉の味方になると話し、辰哉は彼を頼るようになるんです。
田中は後に、あの夜の泉を自分も見ていて、警察を呼ぶ大声を出したのは自分だと話します。辰哉には、同じ現場を見て、同じように悩んでいる大人に思えたでしょう。
辰哉の実家の民宿を手伝う田中は、客の荷物に当たるなど、乱暴な一面を見せるようになります。やがて民宿で暴れ、物を壊した末に逃げ出しました。辰哉が頼っていた相手は、そばにいて安心できる人ではなくなっていくんです。
廃墟で泉への嘲笑を知り、辰哉が田中を刺す
辰哉は田中を追って無人島の廃墟へ向かいます。そこには大きな「怒」の文字と、泉が米兵に襲われていたことを笑いものにする書き込みが残っていました。田中は、ハサミで自分の顔を傷つけてもいます。
田中自身の言葉からも、泉を陰で見て嘲笑していたことが分かります。辰哉のそばで一緒に悩んでいたように見えた人が、実際には泉の被害を面白がっていた。辰哉が信じていた田中は、目の前で別人のように変わったのです。
辰哉はハサミで田中の腹を刺し、田中は死亡します。捜査によって、この田中こそ山神一也だったと判明します。辰哉が刺した理由は、信じていた相手の裏切りを許せなかったことです。
辰哉の供述のあと、泉が海に向かって叫ぶ
辰哉は逮捕され、取り調べで、田中を信じていたからこそ許せなかったと話します。犯人の正体が分かる場面には、別の殺人を犯してしまった辰哉もいるんですね。
泉は無人島へ行き、廃墟に残る書き込みを読みます。そして海に向かい、声を上げて叫びます。これが映画の最後の場面です。
八王子の犯人が死んでも、泉が受けた暴力は消えず、辰哉は逮捕されています。美しい海が目の前にあるのに、観光の風景として眺める気持ちにはなれない。私は、泉の叫びに、それまで抱え込んだ苦しさが一度にあふれたように感じます。
八王子事件の経緯と、泉を襲った米兵、嘲笑した田中
麦茶の話は、捜査で浮かぶ殺人の経緯
終盤の捜査では、八王子事件当日の山神の足取りが浮かびます。日雇い仕事の待ち合わせがうまくいかず、電話の相手に笑われたと感じ、住宅の前で座り込んでいた山神に、その家の女性が麦茶を差し出した、という経緯です。
警察は、山神がその親切を、同情して見下されたと受け取った可能性を考えます。山神は女性を殺し、帰ってきた夫も殺害しました。麦茶を出した女性に、殺される理由があったわけではありません。
沖縄で田中が泉を嘲笑した場面には、他人の苦しさを踏みにじる言動がはっきりあります。一方、八王子での内心は本人の告白で明かされません。
泉に性暴力を加えたのは米兵で、田中は被害を嘲笑した
泉を襲ったのは米兵です。田中は、彼女の被害を知りながら嘲笑し、その後、辰哉に寄り添うように振る舞っていました。
辰哉が酔ってはぐれたことや、助けられなかったことを悔やむ姿は痛々しいものです。ただ、泉を襲った責任は、暴力を振るった米兵にあります。泉の行動に、被害を受けて当然だった理由はありません。
「怒り」は誰の感情?三つの結末を考察

私にはこの映画が、「信じれば幸せになれる」と一律に励ましているようには見えません。辰哉は田中を信じた結果、その嘲笑を知って殺人に至ります。愛子や優馬には、疑った相手を傷つけた後悔が残るんです。
愛子は疑ったあとに泣き、田代を迎えに行きます。優馬は泣いても、直人に会えません。二人とも相手を疑いましたが、関係をやり直せる時間が残っているかどうかで、結末は大きく違います。千葉の帰還がうれしいほど、東京の遅すぎた理解がつらくなるでしょう。
辰哉の怒りには、田中に頼った自分と、踏みにじられた泉への思いが重なっているように感じます。田中は、辰哉が一人では抱えきれない苦しみに近づき、味方の顔をしていました。その相手から嘲笑を聞かされるのですから、裏切りの深さが違うんですね。
最後の泉の叫びは、米兵への怒り、田中への怒り、辰哉が殺人を犯したことへの悲しみなど、いくつもの感情が重なったものと私は受け取ります。犯人の名前が分かったところで、泉が元気になった場面は来ません。あの叫びを聞くと、「解決したね」とは、とても口にできないんです。
もう一度観るなら、三人と過ごした日常の場面を
愛子が弁当を作り、直人が優馬の母に付き添い、田中が辰哉の相談を受ける場面があります。初回は容疑者探しで忙しく、普通の会話まで証拠品のように見てしまいますよね。お弁当も、ただのお弁当として見たい!
- 千葉は、愛子が田代に弁当を作る場面。二人の親しさと、洋平が身元を気にする様子を見比べると、愛子の通報のつらさが増します。
- 東京は、直人が優馬の母に付き添う場面。その時間を思い出しながら、優馬が警察に直人を知らないと答える場面まで追うと、彼が遠ざけたものの大きさが見えます。
- 沖縄は、田中が辰哉の相談を受ける場面。結末を知ったうえで聞くと、味方になるという言葉を、そのまま優しさとして受け取れなくなるでしょう。
愛子を演じた宮崎あおいさんと監督の公式Q&A
宮崎あおいさんと李相日監督が登壇した、東京国際映画祭公式チャンネルの『怒り』Q&Aです。
愛子の通報と、そのあとに崩れる姿をもう一度考えるとき、演じた人と監督の話も聞いてみたいところです。
よくある質問(FAQ)
田代は偽名なのに、どうして犯人ではないのですか?
名前を変えた事情は、親の借金をめぐる逃亡でした。八王子の犯人とは指紋が違います。田代は、愛子と洋平のもとへ戻ります。
直人は自殺したのですか?
直人の死は、心臓の持病に関わる病死です。薫が優馬に、公園で亡くなったことを話します。優馬に疑われて自殺した、という出来事はありません。
辰哉が田中を刺したのはなぜですか?
頼りにしていた田中が、泉の性暴力被害を嘲笑していたからです。取り調べでも辰哉は、信頼していた相手だったことを殺害の理由として話します。八王子事件の犯人を裁くため、という供述ではありません。
泉の最後はどうなりますか?
島の廃墟で田中が残した文字に触れ、海へ向けて絶叫する泉の姿が、映画のラストです。
まとめ
『怒り』の八王子事件は、田中信吾として沖縄に潜んでいた山神一也にたどり着きます。田代は帰還し、直人は病気で命を落とし、田中は辰哉に殺される。
愛子は迎えに行けます。優馬は会えず、辰哉は逮捕され、泉は海に叫びます。犯人を知ったあとにも残るのは、その人を信じた時間と、疑ってしまった時間です。顔写真を見比べていたときには想像しなかったほど、身近な人との会話を思い返したくなる結末でした。