星座に金属、美女を作る計画。『占星術殺人事件』の冒頭は、帰りの電車で読むにはずいぶん濃い手記です。推理を始める前に、眉間のしわが一本増えそうですよね。
注意:犯人・トリック・結末までのネタバレがあります。
島田荘司『占星術殺人事件』の改訂完全版は、2013年刊の講談社文庫です。
一連の殺人を仕組んだのは、梅沢平吉の娘・時子です。殺されたはずの娘が、どうやって捜査する人たちをだませたのでしょうか。
平吉の密室殺人――鍵と足跡を作った娘

1936年2月、画家の梅沢平吉がアトリエで殺されます。頭部を殴られた遺体が見つかり、室内には睡眠薬を飲んだ形跡もありました。扉は内側から施錠され、外の雪には男靴と女靴の足跡が残っています。
ここで不可解なのは、平吉が誰かと一緒にいながら眠りについたことです。相手は、絵のモデルを務めていた時子でした。自分の娘への信頼が、犯人に二人きりの時間を与えてしまいます。
かんぬきは糸、カバン錠は偽証
時子は平吉を殺したあと、糸を使って外からかんぬきを掛けました。もう一つのカバン錠については、窓から中をのぞいた時子が「掛かっている」と証言します。皆が扉を破って遺体に気を取られた隙に、彼女が錠を置いたのです。
密室の一部は物理的な細工で、もう一部は発見者の嘘でした。鍵の数より、鍵を確かめた人が誰か、という話なんですね。
雪の足跡にも同じ人が関わっています。時子は自分の靴に加え、平吉の男靴を使って足跡を偽装しました。男と女が訪れたように見える雪景色まで、犯人が用意したものです。
アゾートの手記は父の筆跡を借りた偽物
アトリエには、六人の若い女性から身体の一部を集め、完全な女性「アゾート」を作るという手記が残されていました。星座と金属を結び付け、どの部位を切り取り、どこへ遺体を置くかまで考えた計画です。これを書いたのも時子でした。
彼女は平吉の筆跡をまねて、父の狂気が事件を動かしているように装います。手記は、遺体の切断と遠方への移動を「アゾート作り」で納得させるための偽装なんです。
平吉が先に死んだことで、その計画を受け継いだ誰かがいる、と捜査は迷走しました。読者も星座の対応を考え始めたら、時子の用意した謎に付き合うことになります。占星術の知識を急に詰め込みたくなる気持ち、困ったことによく分かります。
一枝殺害――竹越文次郎を遺体の運び手にする
次に殺されたのは、家族と離れて暮らす金本一枝です。時子は一枝を花瓶で殴って殺害し、その後、一枝に成りすまして刑事の竹越文次郎を家へ誘いました。文次郎が会い、性的な関係を持った女性は時子だったのです。
時子はそこで得た精液を一枝の遺体に付着させ、男性が性的暴行を加えたように偽装します。死んだ一枝と、生きて文次郎に会った女性とが、同じ人物だと受け取られる仕掛けでした。
きれいな花瓶が犯行時刻を誤らせる
凶器の花瓶は、血を拭き取ったうえで文次郎の目に触れる位置にありました。そのため彼は、自分の訪問時には一枝が生きていて、殺人は帰宅後に起きたと考えます。花瓶のきれいさが、一枝の生存を信じ込ませたんですね。
後日、文次郎に脅迫状が届きます。一枝との関係を暴露すると告げ、指定した遺体を各地へ運ぶよう命じるものでした。殺人犯と疑われることを恐れた彼は、運搬と遺棄を引き受けてしまいます。
時子には、遠くへ大量の遺体を移す手段と、危険な作業を肩代わりする人物がそろいました。文次郎の弱みを握るための事件が、次の大量殺人を支えるという、嫌なつながりです。
アゾートのトリック――五人の身体が六組になる

平吉の後妻・昌子と、家に残った六人の若い女性は、新潟の弥彦へ出掛けます。昌子と別れた女性たちは、その後、行方不明となりました。やがて各地で発見された遺体には、一体ごとに違う部位が欠けていたのです。
実際に時子が殺したのは、知子・秋子・雪子・礼子・信代の五人でした。一枝の家へ集め、毒入りのジュースを飲ませています。時子自身は生きたまま、ほかの五人の遺体を切断して組み替えました。
上半身と下半身を一段ずらす
五人の身体を、それぞれ違う高さで上下に切り分けます。一人目は頭の下、二人目は胸の下、という具合です。そして、ある人の上側と、別の人の下側を組み合わせ、間に一つ分の部位が欠けた身体を作りました。
A〜Eは、切断位置の異なる五人の遺体を表す記号です。身体を頭部・胸部・腹部・腰部・太もも・下腿部に区切ると、組み合わせは次のようになります。
| 六組の欠け方 | 使われた身体の部分 |
|---|---|
| 頭部が欠ける | Aの胸部から下 |
| 胸部が欠ける | Aの頭部+Bの腹部から下 |
| 腹部が欠ける | Bの頭部・胸部+Cの腰部から下 |
| 腰部が欠ける | Cの頭部から腹部+Dの太ももから下 |
| 太ももが欠ける | Dの頭部から腰部+Eの下腿部 |
| 下腿部が欠ける | Eの頭部から太もも |
最初と最後の組は片側だけで、その間の四組は二人の身体を使っています。切り取られた一人分を足す計画だと思わせて、実際には五人分を六組に分配したわけです。人数の数え方そのものを疑うトリックでした!
遺体を散らし、発見時期までずらした理由
組み替えた上側と下側を比べられると、別人の身体だと気付かれる危険があります。そこで時子は、文次郎に遺体を別々の場所へ運ばせました。埋める深さも指示し、発見の時期に差を付けています。
先に見つかった遺体が処理されたあと、ほかの遺体が腐敗の進んだ状態で発見される。こうして、六組をそろえて照合する機会が失われました。遠方の鉱山と時間差が、組み替えの発覚を防いだのです。
時子として確認された首のない遺体は、雪子の身体でした。時子は前もって、雪子の身体の痣に似た痕を自分にも作り、実母・多恵に見せていたのです。娘を知る母の証言まで利用して、自分の死亡を信じ込ませます。
御手洗潔の推理――京都の調査と千円札
事件から四十年以上が過ぎた1979年、飯田美沙子が御手洗潔へ父・文次郎の手記を持ち込みます。遺体を運んだことを長く隠していた父の告白でした。御手洗と友人の石岡和己は、この手記を手掛かりに古い事件へ向き合います。
一方、美沙子の兄で刑事の竹越は、父の手記を返すよう迫りました。御手洗は一週間で事件を解くと約束し、石岡と京都へ出掛けます。かつて平吉と関わりのあった人形職人・安川民雄の足跡を追う調査です。
安川はすでに亡くなっており、石岡はその娘から人形師・吉田秀彩のことを聞きます。安川がアゾートと信じた人形を求めて、石岡は愛知県の明治村へも足を延ばしました。
壮大な秘密が埋まっている気がした場所で、石岡は展示用のマネキンを調べます。遠出した分だけ答えに近づいてほしい。読者としては、つい交通費まで気になってしまいますよね。
切り貼りの紙幣から身体の組み替えへ
御手洗にひらめきを与えたのは、セロテープで補修された千円札でした。それを見て、紙幣を切り分け、少しずつずらしてつなぐことで、元より一枚多く見せる細工を思い出します。身体の欠損と遺体の数に、同じ仕組みを当てはめたのです。
彼は京都で須藤妙子という女性にたどり着き、石岡を引き合わせました。妙子は、年を重ねた時子です。彼女は、自分の事件を解いて訪ねてくる相手を長く待っていたと認めます。
東京へ戻った御手洗は、美沙子たちに三つの事件の真相を説明し、その場で文次郎の手記を焼きました。
犯行の動機と結末――母の夢をかなえたかった時子

時子の実母・多恵は、平吉と別れたあと貧しい暮らしを送っていました。時子は梅沢家に残り、継母の昌子やその娘たちから冷遇されます。梅沢家で受けた仕打ちへの怒りと、母を貧しい暮らしから救いたい思いが、犯行の動機だったのです。
多恵には、京都で袋物の店を営む夢がありました。時子は梅沢家の人々を消し、母へ財産を渡せば、その願いがかなうと考えます。母を幸せにするという願いを、家族の殺害と自分の死亡偽装に結び付けてしまったのでした。
逃亡先から戻ると、母は病床にいた
犯行後、時子は満州へ渡ります。長い年月を経て帰国し、多恵を訪ねたとき、母は孤独な暮らしの中で病に伏せていました。財産を得た多恵に大きく残ったのは、娘を失った悲しみです。
時子が夢見た母の暮らしと、目の前の母の姿は、あまりにも遠く離れていました。犯罪で母を救おうとして、母から娘との時間を奪った。その結果を知った時子は、京都で袋物の店を営むようになります。
そこには、自分の事件を解いて訪ねてくる男性を待つ思いもありました。自分にたどり着くほど賢い相手に出会い、愛したい。時子はそうした望みを、残りの人生に託していたのです。
時子は自死し、御手洗への手紙が残る
事件解決後、時子の自死が知らされます。彼女が最期に御手洗へ送った手紙には、家で受けた仕打ち、犯行の手順、逃亡とその後の暮らし、長く誰かを待っていた思いが綴られていました。物語を閉じるのは、時子自身による告白です。
文次郎の息子である竹越刑事と御手洗も、事件解決後には和解しました。
考察:最後の手紙を読むと、時子には、隠れ通したい気持ちと、誰かに見つけてほしい気持ちが同居していたように思います。解決してすっきりするはずが、最後に胸が重くなる。トリックに驚いたあとに、もう一度、本を閉じる手が止まる結末なんですよね。
被害者の人数と、昌子に降りかかった冤罪
殺人被害者を事件全体で数えると、平吉、一枝、アゾート事件の五人で計七人です。発見された遺体の見かけの数を合計した「八人」と、一人の人間として殺された人数が食い違います。
さらに昌子は逮捕され、獄中で亡くなりました。時子が憎んだ相手には、警察の誤認によって死へ追いやられた人物もいるのです。梅沢家の惨劇は、直接の殺害と冤罪による被害の両方を残します。
読み返すなら、二つの手記に向けられた期待が気になる
文次郎は自分の恥を告白しながら、誰かが事件を解いてくれることを願っていました。読後に彼の手記へ戻ると、脅迫に従った恐怖の中に、真相へ届いてほしいという切実さも感じます。
冒頭の手記と最後の手紙では、同じ人物が誰に向けて書いているかが変わります。初読で星座の組み合わせに気を取られたぶん、再読では書き手の感情に目が向きそうです。これは二度目の読書で味わいたいところ!
STVラジオ公式「ようへいの時短ブッククラブ」による、講談社協力の作品紹介です。
FAQ
アゾートの対象となった六人は、全員が平吉の実の娘ですか?
平吉と血のつながった娘は時子と雪子です。知子と秋子は昌子の連れ子で、礼子と信代は平吉の姪に当たります。一つの家に暮らす女性たちにも、親子・義理の親子・叔父と姪という違いがありました。
途中に挟まる「読者への挑戦」は何回ありますか?
二回あります。「アゾート追跡」のあとに一度、さらに「春雷」のあとにも第二の挑戦状が置かれています。二度の挑戦につい意地になるところまで、読書の楽しみですね。
まとめ
一連の殺人の犯人は梅沢時子で、五人分の遺体を六組に見せて自分の死亡を偽装しました。被害者を悼む気持ちと、加害者の言葉をもう少し聞きたい気持ちがぶつかるんです。そんな読後感まで残せる小説に出会うと、しばらく次の一冊を選べなくなります。