※結末までのネタバレがあります。
書斎で作家が殺され、その幼なじみが事件の手記を書き始めます。『悪意』は、1996年9月に双葉社から刊行された東野圭吾の小説です。
日高邦彦を殺した犯人は、児童作家の野々口修です。ただ、逮捕のあとにも捜査は続きました。加賀恭一郎が追うのは、野々口が口を閉ざす「なぜ殺したか」。犯人が分かったからと安心すると、まだずっしり残っているページ数に驚きます。
日高殺害の夜、アリバイになった一本の電話

日高邦彦は、妻の理恵とカナダのバンクーバーへ移住する直前でした。引っ越しの準備が進んだ自宅に残り、連載小説『氷の扉』の原稿を仕上げていたのです。
そこへ訪ねてきたのが、小学校時代からの知り合いである野々口修。続いて藤尾美弥子が現れ、野々口はいったん家を出ます。美弥子は、日高の小説『禁猟地』の人物モデルにされた兄・正哉の描き方に抗議していました。
野々口の説明では、その後、自宅で編集者と会っている最中に日高から電話があり、夜8時に再訪する約束をしたといいます。ところが、訪れた家は真っ暗。ホテルにいた理恵を呼び、二人で中に入ると、書斎で日高の遺体を発見しました。
日高は文鎮で頭を殴られ、首をコードで絞められていました。夫婦で海外生活を始めるはずだった理恵が、夫の死に直面する夜になってしまいます。
加賀は野々口の元同僚だった
捜査に来た加賀恭一郎は、野々口と同じ中学校で教えていた元教師です。昔の知り合いとの再会が、事情聴取の場でした。
野々口は事件について手記を書き、加賀はそれを捜査で読むことになります。事件を知る友人として差し出した文章を、書いた本人を疑う手がかりとして読む。二人の間には、そんな緊張がありました。
電話の向こうにいたのは日高か
加賀は、日高がヘビースモーカーなのに、灰皿に吸い殻が一本しか残っていない点も疑います。野々口がいたときの一本だけで、そのあと吸った跡がない。電話で話したという時刻より前に殺されていた、と加賀は考えたのでした。
午後6時、野々口は自分の部屋で編集者を前に、日高と通話しているように振る舞ったのです。
この着信は、パソコンから時刻を指定して送ったFAXを利用した偽装でした。編集者が聞いたのは野々口の返事だけ。受話器の向こうで日高が生きている、と信じさせる芝居だったんですね。
加賀が通話や原稿の矛盾を追及すると、野々口は殺害を認めます。ところが動機については、些細なことだったと済ませようとしました。
野々口が創作した、不倫と代作の「動機」
野々口の手元からは、日高の作品の原稿データが見つかります。さらに部屋には、日高の刊行済み作品によく似た小説を手書きした大学ノートもありました。
これを見た加賀たちは、日高の作品を実際には野々口が書いていた可能性を考えます。売れっ子作家の名で出ていた小説を、幼なじみが代わりに執筆していたのか。捜査は二人の隠れた関係へ向かいました。
続いて、女性用のエプロンやネックレス、旅行の申込書、日高の前妻・初美の写真が出てきます。初美はすでに交通事故で亡くなった人です。さらに日高の引っ越し荷物からは、野々口の指紋が付いた包丁と、彼が日高邸に侵入する様子を収めたビデオテープが見つかりました。
野々口は、これらを結びつける告白を手記にします。初美と不倫し、一緒になるために日高を殺そうとしたところ、逆に日高に押さえられた。その弱みを握られ、代作を強いられるようになった、という筋でした。
手記では、初美の事故死にも二人の苦しみが重ねられます。今回の殺人も、長く搾取され、追い詰められた末の行動として語られました。捜査で出てきた物と告白が結びつき、「かわいそうな犯人」の物語が出来上がるのです。
ペンだこ、庭木、花火師の記憶が嘘を崩す

ワープロ派の指に残った、手書きの跡
加賀には、野々口の中指のペンだこが引っかかっていました。普段はワープロで作品を書く人の手に、なぜこんな跡があるのか。昔の同僚として知っている野々口と、今の供述との違和感も残っています。
野々口は最近になって、日高の発表済みの作品を大量に書き写していました。加賀は、古い原稿に見せかけたノートの正体を突き止めたのです。手書きの量を想像すると、指が痛くなりそうです。
侵入映像の庭木から、撮影時期の偽装が判明する
ビデオにも細工がありました。映像に写る庭木の様子が、その撮影日付の頃の庭と食い違っていたのです。加賀は、野々口が最近撮った自作自演の映像だと見抜きます。
包丁や女性の持ち物も、野々口が自分で準備したもの。自分に不利な品をわざわざ置けば、捜査側は「ここまで証拠があるなら本当だろう」と考えてしまう。その思い込みを利用した工作でした。
花火師が覚えていた少年は日高だった
野々口は、自分が花火師を題材に書いた小説を日高に渡し、それを盗まれたという話も作っていました。加賀は、その題材になった花火師の老人を訪ねます。
卒業アルバムを見せると、老人が指したのは日高の写真でした。仕事場へ熱心に通ってきた少年は日高だったのです。野々口が自分の創作の出発点だと語った思い出まで、日高のものを奪っていました。
この執念、締め切りに向ける方向で発揮してほしかったです。
『禁猟地』をたどると、学生時代の立場が逆転する
加賀は『禁猟地』を読み、二人の学生時代を知る人々にも話を聞きます。そこで浮かび上がる日高は、いじめの被害者でした。野々口もいじめの標的にされ、その後、加害側に取り込まれていた過去があります。
日高が野々口を虐げてきたという手記とは、二人の立場が食い違いました。
さらに、藤尾正哉による女子中学生への性暴力に、野々口が加担した過去が判明します。日高はその事件の写真を持っていました。
『禁猟地』をめぐって美弥子と日高の争いが裁判になれば、自分の加担も明るみに出るかもしれない。加賀は、野々口がその露見を恐れたことを突き止めました。美弥子の抗議は、野々口自身の隠したい過去につながっていたのです。
結末の病室で加賀が告げる、野々口の本当の悪意

野々口は癌で入院しています。加賀は病室で、捜査によってたどり着いた二人の関係と、計画の狙いを突きつけました。
加賀が最後に指摘するのは、作家として成功した日高への根深い嫌悪と、彼の名誉を死後も壊そうとする野々口の意志です。
自分を「才能を奪われた被害者」にし、日高をその才能を盗んだ男にする。処罰される自分への同情さえ、日高を傷つけるために使おうとしたのです。
だから野々口は、黙ったまま加賀に手がかりを拾わせ、ときには捜査を誘導していました。自分から恨みを訴えるより、刑事が証拠から発見した話の方が信用される。動機が分かったと思った加賀まで、彼の計画に組み込まれていたんですね。
加賀自身の教師時代と、最後の言葉
加賀にも、教師時代にいじめへ向き合いながら、生徒を救い切れなかった苦い経験があります。その挫折は、教職を去るきっかけにもなりました。
考察として、加賀の粘りには「あの人にも何か嫌われる理由があったはずだ」と、被害者の落ち度を探して納得することへの抵抗を感じます。うまく説明できる理由をつけた瞬間に、加害者の話が被害者の評価を決めてしまう怖さです。
最後に加賀は、野々口の手術の成功を祈り、法廷が待っていると告げました。病室で真相を突きつける対話が、小説の終わりになります。
生きていてほしいという言葉が、ここまで厳しく響くとは! 野々口を、罪と向き合う場所へ連れていこうとする結びです。
猫殺しの逸話も、日高を悪人にするための仕掛け
冒頭の手記にある、日高が近所の猫を毒殺したという話も、野々口が作った日高像の一部でした。不倫や代作の告白より先に、日高は残酷な人だという印象を植えつけていたのです。
「猫にそんなことをする人なら」と、一つの逸話からその人全体を判断したくなりますよね。考察として、私はこの何気ない話の混ぜ方がいちばん嫌です。ノート何冊分という大がかりな偽造より前に、もう相手の話を信じる準備ができてしまうんです。
初美の写真や持ち物がそろうと、彼女自身が語ったようにさえ感じられます。実際には、それらの品を並べた野々口が、亡くなった人の恋愛や苦悩まで代弁していました。夫婦の私生活まで書き換える身勝手さが、読後に重く残ります。
原作を読むなら「解決」「告白」という章題も気になる
原作には「解決の章」「告白の章」があり、そのあとに「過去の章」、最後に「真実の章」が続きます。章題だけなら安心して眠れそうなのに、本の方はまだ寝かせてくれません。
読み返すと、野々口が口を閉ざす場面にも、書きたがる場面にも別々の狙いが見えてきます。原作の書籍情報は講談社文庫『悪意』にまとまっています。
FAQ
『悪意』は加賀恭一郎シリーズの何作目?
シリーズ第4作です。加賀が学生だった『卒業』、刑事として登場する『眠りの森』『どちらかが彼女を殺した』に続きます。
『悪意』は全部で何ページ?
講談社文庫は376ページです。
紹介で出てくる「ホワイダニット」とは?
「なぜ犯行に及んだのか」という動機の謎を中心にしたミステリーを指す言葉です。英語の「Why」に当たる「なぜ」を追う、と考えると分かりやすいですね。
まとめ
日高の小説は過去の被害を物語にし、野々口の手記は自分の加害を正当化する物語を作りました。同じ「書く力」が、これほど違う方向に使われる。その怖さが『悪意』には残ります。